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1枚の写真から・・・スーパーカーに乗って ♪あの頃僕は若かった~
この写真を見ると、♪「あの頃君は若かった~」という曲が自動的に流れて来る。
時は1979年5月。私は講談社の子会社であるベストカー副編集長に電話を入れた。
「ねぇ、今度菅生に行くとき、一緒につれていってくれないかな~」
すると「あぁ、いいよ」と言ってくれた。
雑誌の企画で、スーパーカーを数台持って、宮城県の菅生サーキットへ行って走るものだ。
丁度その年、私は同社から単行本「ラリーテクニック」を出版して貰い、ベストカーとは懇意だった。
そんなことから、ちゃっかりと同行が実現。
東北道を北上する途中で、「茶木さん、これ運転していって」とハンドルを渡させたのが、このブルーの車である。
![](https://assets.st-note.com/img/1708180637159-A3VV8BSuIH.jpg?width=1200)
とき折りしもスーパーカーブームで、ブルーのこの車はカッコイイ。
「あいよッ」乗り込んだが、走ってみるといろいろなことが分かってきた。
先ず、前を見ても路面しか見えない。つまりボンネットが全く視界に入らないのである。
次にファンだ―のバックミラーをみても、後方はほとんど見えない。どう調整してもダメなのである。
「これは、車検をとるために着けただじゃないかな?」と思った。
まぁそれでも天気は良いし、交通量もそれほど多くは無かった。
だから、慎重に、そしてダイナミックにスポーツカーの走行フィーリングを楽しんだ。
といえばカッコいいが、本格的なスポーツカーの運転は疲れる。
それで、帰りは講談社の副社長の息子さんに運転してもらって帰ってきた。
この1枚の写真を見る度に、「自分にもあんな若いころがあったのだなー」と思う事しきりである。
クルマの名前はもう忘れたが・・・・
![](https://assets.st-note.com/img/1708180656219-89jZmamLgw.jpg?width=1200)
左から2人目が筆者。
3人目のネクタイをしている人が、「間違いだらけの車選び」の先生こと徳大寺有恒氏。