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軍用車ハマーの市販2号車 雪の壁を登坂

今からおよそ30年前の冬、私は雪のアメリカ・ユタ州へ行った。知り合いのクレッグの事務所に行くと「やぁ、よく来てくれた!」と歓迎され、会話が弾んだ。

その会話の途中で彼は、「ハマー、ハマー」と何回も言う。私にはハンマーと聞こえた。だから何でビジネスの話にハンマー・・・つまりトンカチ(金槌)の話が出るのか分からなかった。
怪訝な顔をしている私に、外へ一緒に出ようという。外へ出てみたハンマーの意味が分かった。それはトンカチのハンマーではなく、軍用車生まれのハマーのことだった。
ハマーは、丁度その直前に市販車として売り出されたのである。

その市販第1号車は、シュワちゃんことアーノルド・シュワルツネガーが買い、2号車をクレッグが買ったのだと言う。
見るからにイカツイ感じで、ボンネットにはヘリコプターで釣りあげるためのフックも付いている。

クレッグはリッチマンで、ポルシェやファラーリはもとより、山間の牧場に馬を数十頭もち、大きなログハウスを建て、スノーモビルを6台も持ち、維持管理に6人ほど雇っている。だから彼にとってのこのハマーは、完全なオモチャである。


ハマーとともに。 左が筆者茶木寿夫 右がクレック
雪のユタにて。
ハマーと私

そして彼は私に「トシ(私の呼び名)、明日山を走りに行こう」と言う。彼は私が車の専門家と知っているからだ。

翌日、指定された場所へ行ったら、彼は子供が夢中になって遊んでいるが如く、ハマーで雪の野山を走り回って面白がっている。

しばらくすると私のところまできて「乗れ!」と言う。私は早速右側の助手席に乗った。すると運転席と助手席の間に、麻雀の卓のようなテーブルがある。だから運転席と助手席の間が、かなりあるのに驚いた。

それはともかく、私を乗せてクレッグの運転するハマーは走り出した。そして傾斜30度ほどの雪の壁を登坂しようとした。
30度の傾斜はきつい。イメージで言えば、雪の川の土手を登るようなもので、登り始めると前に見えるのは空だけだ。雪が深いので一気には登れず、何度もやり直す。そして5回目にしてようやく登りきった。

すると今度は私に、運転をしてみろと言う。乗ったことのないハマーだったが、彼の操作を見ていて大体分かったから、おもむろに動かし始めた。

そして、その同じ傾斜30度の壁を1回ですんなり登った。すると彼は、「オーナーの自分が5回もトライしてやっと登ったのに、初めてのトシが何で1回で登れるのだ!?・・・」と、驚いている。
私は涼しい顔して「まぁ、身についた技術だよ」と言ったら、彼は感心していた。これで彼との距離はグッと縮まった。

1時間ほど遊んでから、彼はエアー圧がセルフで調整できるのだと言って、ポンポンポンと空気を入れて見せた。そんな装置の付いた車を見たのは初めてだった。

この車は、タイヤのエアー圧を走りながらでも、車内からスイッチ一つで上げたり下げたりできるのである。
道なきジャングルのような泥濘地を走るときは、空気圧を下げて走破性を良くし、まともな道を走るときは空気圧を上げて、速く走れるようにするのである。

彼はジョークの塊のような面白い男だから、私もジョークを適当に噛ます。
彼は「俺はポルシェも、フェラーリも持っていて・・・」云々と言うから、私は「ふ~ん、でもクレッグ、一週間は7日しかないから、車も7台までにしておきなよ」と真顔ジョークで返した。

すると彼は「トシ、お前は面白い奴だな」というので、「人生も、人間も面白い方が良いだろう」と、会話は弾んだ。

その時、何気なく撮った写真があったので、日本に帰ってすぐに、知人のベストカーの編集長に電話を入れた。すると「フィルムは誰にも渡さないでくれ。すぐに若いものにバイクで取りに行かせるから」と言い、さらに「すぐに原稿を書いてくれ」と言われた。

しばらくすると雑誌に掲載された。
その後、クレッグが日本に来たので、その雑誌をプレゼントしたら、彼は大喜びしていた。

以後、私が彼のところへ行くと、フェラーリのキーを投げてくれたり、新車のポルシェのキーを出して「走ってみていいよ」と気軽に言ってくれるようになった。


ハマーの記事は、雑誌に掲載された。
私が書いたハマーの記事


ハマーに着けていたナンバー

#ハマー #HUMMER  

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