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永遠に楽しめるパズル 鈴木清写真集『夢の走り S STREET SHUFFLE』

「あの写真集は、言葉にできないでしょう。」
「他の写真集にしてはどうか。」

私が「鈴木清の『夢の走り』について文章を書く」と話したとき、複数の知人から言われた。しかし、他の写真集について書く気持ちにはならなかった。以前に『夢の走り』を目にして、昔のものとは思えない、今見ても格好良い、という印象が残っていた。そして、一般には販売されていないこの写真集を、最近、運良く手にすることができたのだ。

鈴木清は、1943年に現在の福島県いわき市で生まれた。東京綜合写真専門学校を卒業し、雑誌『カメラ毎日』に、故郷を始めとする炭鉱の町の写真を発表する。以後、看板描きをしながら、写真展や写真集で作品を発表、東京綜合写真専門学校講師に就任、写真集『修羅の圏』で第14回土門拳賞を受賞する。鈴木の活動で、特筆すべきは写真集だ。高校のときに印刷所で働いた経験がある鈴木は、写真のコピーを切り貼りして作ったダミー本を、いつも持ち歩いては見直し続けていた。『夢の走り』はデザイナーの鈴木一誌とともに造ったが、ほとんどの写真集を自分でデザインしている。生涯で8冊の写真集を作り、そのうち7冊が自費出版であった。

『夢の走り』の写真は、1982年から1987年までに、横浜、川崎、沖縄、東京、上海、釜山、大阪で撮られたスナップである。都市ごとに写真が並べられ、各都市の最初のページには雑誌の切り抜きのように文章が配されている。それは、「×月×日」などと日記風だが、写真を説明している感じはしない。全体的な構成は、「行間の眺」「荼毘の赤」「夢の走り」「HEAT ISLAND」の4章である。

鈴木清写真集『夢の走り S STREET SHUFFLE』 [OCEAN BOOKS(自費出版)、1988年]より

写真に写っているものは、時計を嵌めた腕越しに見下ろす古いビルの屋上、公園で塀づたいに寝そべる男、トランプを切ったり揃えたりしている老女の手、レコード店前で太鼓を叩きながら歩く物売りの少年、線路脇の荒れた街並みなどである。モノクロ・カラー両方あり、写真の大きさや配置の場所も様々だ。ページによっては、写真の上下に八ミリフィルムのような穴が描かれていたり、写真に字や小説などから引用された文章が添えられていたりする。突然、長谷川利行の絵や、ロバート・フランクが鈴木清に宛てた手紙と写真が出てくる。

写真集を見て思い浮かんだイメージは、放浪、混沌、妄想、身体、性、死、映画、音楽。様々な時間、様々な場所を流離い、寄る辺のない感じがする。鈴木が、各地から人が集まり、死と隣り合わせの炭鉱町で生まれ育ったことが思い起こされる。最初の一枚は、敷き詰められた網の上に寝ている人の写真だが、後の写真がその人の夢に出てくる光景、という単純な筋書きとは思えない。馬車の前での自撮り、の次に、鳥の死骸。ストーリーは感じられず、複雑さに混乱しながらも、何度も見返したくなる。

例えば、レコード店前で太鼓を叩きながら歩く物売りの少年の写真は、「風のエレジー。― 街のレコード店前を通り抜ける物売りの少年」という題名を読むまで、ショーウィンドーに並べられたレコードジャケットが遺影のように見えて、手前で太鼓を叩いているのは鎮魂なのかと思った。離れたページにある、昼間の街にうつ伏せで寝る男の写真や、病室のベットに座る男の、頭が黒く塗りつぶされている写真などと合わせて、死を連想した。しかし、遺影ではなくレコードジャケットだと分かり、音楽を感じさせる写真とも繋がる。

鈴木の家族によると、ダミー本を作っているときの鈴木は、とても楽しそうだった、という。『夢の走り』は、観る側にとっても、永遠に楽しめるパズルのようだ。

(「PHaT PHOTO」主催、写真評論家・タカザワケンジさんが講師の「写真好きのための文章講座」を受講した際に、書いた文章です。)

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