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嘘を嘘として受け入れる勇気 「ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期」レビュー
51.4時間。全員の絆レベルを最大にして、超高校級の才能計画を1周するまで。カジノの自動稼ぎ含む。
やりたいことはよく分かるし、ダンガンロンパでしかこういう話はされないと思うのだけど、なんだかなあ。
以下すべてネタバレ。
フィクションがリアルを追い詰めてくる
記憶を失った"超高校級"の生徒たちが脱出をかけてコロシアイをする物語。
という始まりは過去作と同様だが、なんやかんやあって最終的には「この物語はフィクションですが、コロシアイを行っているのは実在の人物です。」という話になる。
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つむぎがコスプレする様子を素直に捉えるなら、ダンガンロンパ1と2は少なくともフィクションであり、今回のV3はリアル。
「チームダンガンロンパ」によって一般人に超高校級の能力と背景が設定され、それが「思い出しライト」により植え付けられている。
物語の終盤では、ダンガンロンパシリーズに対して「コロシアイ」を望んでいるのは視聴者(=プレイヤー)である、とゲーム自身が突きつけてくる。
だからシリーズは(5)3作も続いているのであり、お金を出してこのゲームを手に取ったプレイヤーに否定の余地はない。
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筆者の感想として、こういう話は気に入らない。
V3の主張は、ぐうの音も出ないほど正しい。我々はわざわざお金を出してコロシアイを楽しむ冷血漢だ。
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しかし、人が人を殺すフィクションに折り合いを付けたからこそミステリーを買っているのであり、それなのに「この悲劇はお前が望んだものだ」と言われるのは気分が悪い。
最原にダンガンロンパを否定させることになったのは、現実のレイヤーとしてもゲームのレイヤーとしても自業自得だ。
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その構成を取りながら、本作が物語として真摯に作られていることは分かる。
特に、モノクマがゲームマスターとして物語の2階に、生徒がゲームのプレイヤーとして1階にいるとするなら、一人だけ中二階にいる小吉の姿は面白かった。ダンガンロンパをゲームとして成立させることを拒み、本当の勝利条件を考えている。
クライマックスは、ダンガンロンパ1はモノクマ(黒幕)から生徒への挑戦、2は生徒から生徒への挑戦、3は生徒からモノクマへの挑戦、というように作品ごとの特色が現れていた。
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5回目の裁判で、最原が真実を明らかにするのはモノクマに対して悪手だったのではないか。いや、暴くべきでない真実があるという展開は、一貫して嘘と真実を天秤にかけ続けたV3らしさだと言える。
学級裁判シミュレーションとして
学級裁判もダンガンロンパ1+2で12回やった後なので、既に新鮮さはない。V3の視聴者は300回くらい見てるのか。
裁判の流れが怪しいときは偽証を行うことで主導権を握るという要素が追加されたが、結局正しい選択肢を選ばなければ前に進まないので、実際は本を読んでいるが如し。
楽しさは生徒同士のかけあいとミステリーの筋にある。
学級裁判の主な要素は2から大きくは変わっていない。画像からポイントとなる箇所を当てるのは話を理解しているかのテストとなるので、悪い要素ではないと思う。
スケボーはドライブに変わり、ストレスは減った。あと、どうしてもリズムゲームはさせたいようだ。
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ゲームマスター白銀つむぎの奮闘記
V3には、事件・学級裁判でかなり無理が出ているところがあるのだが、運営者の白銀つむぎが四苦八苦する物語として読めば、まだ分からなくはない。
例えば第2の事件。トリックを弄さずに、研究教室に死体を放置しておけば証拠も出さずに逃げ切ることができた。策士策に溺れるというか、たまたま上手く継続できたのが第53回ダンガンロンパというだけ。
第4の事件では、コンピュータ世界に入ったことにより、つむぎの視覚外で殺人が起こってしまった。仮に王馬が全員を出し抜いていたら……。つむぎも命がけと言ってるから、その程度のリスクは受け入れているのだろう。
最大の問題回である第1の事件だが、そもそも学園内に生徒たちが16人しかいないという前提で話が進んでいるところ、鍵が閉まった部屋などもあり、全員が17人目の外部犯を想定していないのには違和感がある。
天海が死んで首謀者が生き残っているなら、その首謀者が隠し扉の先にずっと隠れていて、隠し扉から出て天海を殺した後、再びそこに戻っていったと考えるのが自然だろう。どこかで思考の誘導があっただろうか。
また6回目の学級裁判で明かされるが、天海を殺した本当のクロはつむぎである。
赤松は真犯人ではなかったのだから、本来クロ以外の全員がお仕置きされるべきだったのではないか。
そのようなルール違反は、もちろん外の視聴者には見せていないのだろう。
しかし天海が落ちてきた鉄球にあたって死ぬ決定的な場面を見せられないというのは残酷ショーとして致命的だ。
そして、筆者がルール違反だと怒っていること自体、筆者がダンガンロンパを楽しんでいる一人の視聴者であることを表している。話としては完璧だ。