失楽園②
主要な登場人物紹介
涼宮俊介・・・21歳。大学生。永遠と幸福が保証された世界に息苦しさを感
じている。
牧村直美・・・21歳。大学生。学業やボランティア活動に積極的で、周囲へ
の配慮を欠かさない。
宮田伊作・・・21歳。大学生。鈍感でぶっきらぼう。俊介の繊細さやネガテ
ィブな性格を馬鹿にしている
涼宮美香・・・俊介の母。過保護で、心配性。俊介からは疎まれている。
西田真理奈・・・謎めいた司書。反社会的な言動をとっても、何故か”マンダ
ラ”の影響を受けない
「今日の講義では皆さんに、21世紀前半にこの国で問題となった社会問題である、格差社会について、自由に討論を行ってもらいます。では、既にグループ分けがなされているので、グループ内でそれぞれが抱く考えを自由に述べてみてください。」
「ということで、日本の格差社会について話し合うのだけれど、まず、何故格差が広がったのか、その理由をグループで統一する必要があるわね。」
「確かに、牧村さんの言うとおりだね。この国が1980年代までは総中流社会と呼ばれていたのは、皆も知っているよね?格差がこの国で広がった背景としては、1990年代以降に急速に進んだ世界的なグローバル化の波に、日本が飲み込まれてしまったことが、1つの原因だと僕は思う。」
「確かに。それは最も大きな原因だと私も思うわ。けれどもそれだけじゃない。バブルが崩壊し、景気が傾いたことによって、当時の政府や企業がこれまでの考え方を否定し、欧米の新自由主義の波にのり、規制を緩和し過ぎたのも問題だと、私は考えるわ。牧村さんはどう思う?」
「私も同じくそう思う。それによって、非正規雇用やワーキングプアの方々が急増したものね。それらが原因で金融緩和や海外移転も進んだしね。涼宮くんもそう思う?」
「ああ、僕も大体同じ感じだよ。」
「そう。じゃあ、これが統一見解ということね。次に、その後のこの国の成り行きに関してはもう理解しているよね?」
「ああ、少子高齢化の進展、政府の保守化、財政の不健全化、既得権益層の利益の拡大、社会保障の縮小。それらにより、日本だけでなく、世界各国で益々貧富の格差が拡大し、どの国もジニ係数はとうとう5.0を上回り、世界各国で同時多発的にデモや暴動、クーデターが起きた。」
「それらを弾圧する政府と国民との衝突により、多数の人々が犠牲になった。自衛隊や軍隊の一部もストライキを起こし、国民側に加わったことで、最終的に欧米の幾つかの国と日本は、国民側が武力によって政権を取って代わり、財政界の人間は次々と裁判にかけられた。そして、現在の政府の基盤が確立されたのね。牧村さん。」
「ええ、そしてそれらの国々は、当時比較的安定していた北欧社会や中国社会で取り入れられていた、功利主義と健康社会に基づく社会制度を取り入れ、現在の永遠の安心と幸福を手に入れられる機会が保証されるようになった。とても自由で、自立的で、民主的な社会が訪れたというわけね。この一連の流れに関して、涼宮くんはどう思う?」
彼女のこれらの考えを聞いていると、毎度のことだがうんざりする。彼女の言うことは至って正しいのかもしれない。しかしその正しさはある種の狂気を孕んでいることに彼女は気づいていない。この社会を、この社会で唱えられている思想を、彼女はあまりにも純粋に、無垢に、まるで男を知らない処女の様に信じ切っている。僕はその濁り一つない彼女のその思いに、幼子の様な瞳に、何とも言えない恐怖と憎しみを感じる。
「涼宮くん?聞いてる?」
「ああ、すまない。どう思うかだよね。そうだな。僕はうんざりしているよ!この社会のどこが自由だって?馬鹿言うなよ。ステルス機能があるので目に見えはしないが、僕達はあちこちで監視カメラによって監視されている。どこにあるかわからないからこそ、余計に僕達は行動を社会にあわせる。道を歩いている時、人と出会う時、交通機関やショッピングを利用する時。その度に自分の情報を全て公開し、自分は安全なんだといちいち周囲に、この社会に絶えず証明し続けなければならない。ボランティア活動やインターン、仕事を定期的に行い、周囲の人間の顔色を絶えず気にして、自分は君達の仲間で、人畜無害なのだと、自分は思いやりと行動力にあふれた立派な”公民”なのだと周囲に宣伝し続けなければならない。これらのどこが自由なんだ?聞かせてくれよ。かつてフランス革命がおこり、民主主義が確立された時、人々はその象徴として”自由・平等・博愛”のスローガンを叫んだ。それが民主主義の定義だというのなら、この社会は民主主義でも何でもない。脆い一時的な平等と見せかけの博愛がはびこり、自由はどこにもない。社会という幻想の檻の中で、互いが互いを監視しあい、縛りあう世界だよ!」
”ビー!!規定違反です。直ちに今の行いを反省し、謝罪し、改めなさい。さもなければ、あなたの信用スコアは低下します。直ちに改めなさい......
「涼宮くん、アラームが鳴っているよ。」
「はあー....。お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした。以後改めます。”永遠と幸福は汝の手にあり。”」
「良いんだ。そういう時もある。きっと疲れているんだね。涼宮くん、君は少し休んだほうが良い。この講義の出席点は保証しておくから、早退したらどうだい?そのグループは3人で議論を進めることにしよう。それで良いかな?」
「ええ、僕達3人なら問題はありませんよ。ご配慮ありがとうございます。それより、涼宮くんの体調が心配だ。”マンダラ”の通告が出ていないから大丈夫だとは思うけれど。先生の仰る通り、念のため早退したほうが良いのかもしれない。」
「そうさせて頂きます。皆さん、本当に申し訳ありませんでした。失礼します。」
「待って!涼宮くん。本当に大丈夫?何かあったら、連絡してね。私にできることがあるなら、何でも相談に乗るから。ね?」
「ほんと大丈夫だから。ありがとう....」
本当にうんざりだ。この同調圧力でまみれた社会は。どこが自由な討論なんだ?結局いつも、僕達がいかに恵まれている存在なのかを確認しあって、締め括るだけじゃないか。
ああ....いつになったら僕は、この終わりのない息苦しい”天国”から解放されるんだ?
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