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#143|見たくない現実を見る|新しい宣言

そろそろ、見たくない現実を見るべきだ。note365日連続投稿チャレンジ143日目は、この先どれだけ今のチャレンジを続けていても目標に到達できないことについて。


いくらこのnoteを書き続けていてもダメ

今年2023年の2月18日からこのnoteを始めて、続けて、驚くような変化が起こってきた。

今日は偶然、タスクシュートクラウドに残っているちょうど1年前の今日の行動記録を見てみたのだが、劇的と言っていいほど変化している。よくがんばってきたなと思えるし、変化している今の自分が好きだ。

これは、確実にこのnoteのセラピー効果が効いている面も大きい。本当に書いてきてよかった。


しかし。だからといって「それでOK」としてはいけないのだ。

それは「優勝を目指して練習していたがキツくてやめた。でもチームメンバー同士は絆が深まってるからOKだよね」というようなものだ(例が微妙)。

私はこのnoteを「息を吸って吐くようにコンテンツを発信できる自分になる」ために始めた。

「コンテンツ」部分に籠めた意図をもっと細かくすると、それは「(人の助けになったり、何かをAからBに届けたりすることができるような)コンテンツ」、これを毎日発信できる自分になることが目的だった。


だが、今のnoteの書き方、noteを書く時の頭の動かし方では、この先にどれだけ記事を重ねても、絶対に目的を達成できないだろう。もう無理だ、と認める方がいい。アプローチは失敗している。

なぜなら、コンテンツに対する根本的な考え方が違う。そもそも「役に立とうとしない」というスタイルにしているこのnoteでは、「役に立つ記事」を書く力には繋がらない。

それはここまで143日間書いてきた実績の裏にあるもの、これだけ書いてきてもまだ「役に立つ記事」は書けるようになっていない、という実績がその証明だ。

私はこのnoteの記事で人のことなど考えていないのだ。ここは自分をとことん出すところ、ということでやっている。ある意味「甘え」の場だ。しかし、そればかりを続けているとどうなる?「甘やかされて育った子供」と同じだ。


当初は、「どんな記事でもいいからまずは書くことから」、助走をつけていこうということでこのルールで始めたし、たしかにそのおかげで記事が書けるようになり、癒やしが起こり、発信自体は習慣化した部分はある。しかし、いつまでたってもずっと助走してるような状態になっている。これって、もう1つの失敗じゃないか?

失敗・成功、捉え方は色々とできるが、これは「失敗」という捉え方も確実にできる案件だ。それを、真正面から見つめるべきだ。正しい現状把握からしか、効果のある次の手は打てない。


見たくない現実を見る

今年の6月までに「息を吸って吐くように毎日コンテンツをアップできる自分」になることが1つの目標だった。

実際、このnoteを書くことに関してはそのようになっている実感がある。なので、毎日記事をアップできるからクリアだ、と考えたい気持ちが湧く。

でも、それが目指したところだったのか。というと、ぜんぜん違うわけだ。これを冷静に見つめなければいけない。

そして、このままあと何日続けていてもきっと到達できない、という事実も同時に見つめる。

そして、こういう状態からまだゴールを目指すなら、冷徹な決断をしなければならないと思う。ので、意を決して宣言する。


私はたいせつなことをたいせつにできる人間だからな

ということで、


私は、今月中(2023年7月中)に「役に立つコンテンツ(別媒体)」を毎日アップできるようにならなかったら、このnoteをやめる。


おお、、めちゃくちゃ、嫌過ぎる。なんとしても365日続けるという気持ちでやっていて、365日後にやり抜いたと言いたいのに。

しかし、そのために本末転倒なことが起こっては根本的な意味がない。「日記コンテンツ」を作るためにリソースを使っていることで「仕事コンテンツ」が作れないというのなら、それはやめるべきだろう。

いくら「誰かに宣言したから」いくら「(ある意味では)成果が出ているから」といっても、それが本来のゴールに貢献していなさそうならバッサリやめる。それもまた、続ける力と同じだけ大切なことだ。

私は変化する人間だから。本当にたいせつなことをたいせつにできる人間だから。


私は、今月中に毎日仕事コンテンツを作れるようになる。


✑35分|1800文字

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