#362C|もっと「その日暮らし」へ
note365日連続投稿チャレンジ362日目。自分の感覚を保持したまま他人になってみたい。きっと想像を絶するほどに感じ方が違うはずだ。それは黒いカラスが白く見えるほどのことだろう。これはいつか味わってみたい「夢」の1つだ。たぶん隣にいる「人」だと思っているその存在は宇宙人で、同じ目線の先に映るものはまるで違うナニカなのだ。
その日暮らし
「これ、明日書こう。」
そう思ったnoteのネタも、メモしていなければ忘れてしまうのは当たり前としても、メモしていたって翌日になればまったく書く気がなくなるというのが私にとってのあるある。
このnoteの「下書き」にはタイトルとさわりだけを書いた残骸がたくさんあるが、全て翌日には書く気がなくなって放置されたものだ。
その日とかその瞬間に頭に浮かんだものにしか興味が持てず、書く気力が湧かなくなる。そのため「この話は3部構成で書こう」とか「本を1冊書こう」とか、そういうのが今のところできたことがないまま1年たつ。
どうせ毎日書くのなら、何かのテーマで少しずつ書けば本にでもなりそうなものなのに(あえて簡単に言わせていただく)、そうせず毎日の記事が「点」の意識でしか書かれていないことには、もったいなさを感じることがある。
それなりに目的を持って書いている当noteではあるけれど、その書き方としては「点」である状況を「線」にできないかと考えてみる。なんというか「その日暮らし」のような書き方をせず、もうちょっと将来を考えてみれば?みたいなものだ。
しかし「どうせなら◯◯しておけば」というある種のタラレバ。そういうことを考えて「書けなくなる」とか「だから書かない」といったことになるより、「点」を淡々と打ち続ける方が断然いい。その「点」が何かに繋がることには疑いない。
だからまあ、いっか。と考えるのをやめて、今日も「点」の意識で書く。でもそういうことからも一歩進みたい気がして、こんなつぶやきが生まれる。
365日連続で書いたあと、私はこのnoteをどうするんだろうか。
もっとその日暮らしへ
1年を通して「書くクセ」はついた。今はけっこう気楽に書いている。そして数日前からまたスタエフで喋り始めたが、過去3度挫折したのが嘘のように、今回はなんだか気楽に喋れている。
「情報発信」自体への負荷は薄れて、何者でもないが「匿名」ではない「自分自身」として、Web上に出ることに関しては気楽でいられるようになったのだなと思う。
次はどうしようか?これまでの記事で「どうする」ということに関しては何度も書いてきて、できたこともできていないこともあるけれど。今またあらためてみると…
もっとナチュラルに色々やりたい。もっと非論理的に。もっと何も気にせずに。もっと感性に偏って。もっと「その日暮らし」でやってみる。
計画性とか持たずに毎日遊ぶように更新していきたい。逆算なし、功利的な思考なし。ああしたら得とかこうしたらその後にも役立つとか、こんな目的でやるとか、あれを目標にとか、そういうの全部なし。もっとピュアな気持ちで。
それができたなら、まだ自分にひっついている「殻」みたいなものをツルッとむげそうな気がする。これは昨年8月の「恥ずかしげもなく夢を語る」イベントで書いたことと近い。アノ日に書いた記事は現実的な自分の生活と折り合いがつかずに保留になっているけど、ずっと燻ったままだ。
このnoteがそういう方向に向かっていくことは喜ばしい。論理的なことは別の場所に任せて、ここから始まる取り組みは感性に振り切っていきたい。「ありのままで生きる」のは勇気がいる。その壁を越えたい。