書く気がわかない時の、仕事と趣味・プロとアマの差など|#658C
昨日に引き続き書く気がわかない2日目。今日も短く最低限(短文でも投稿する)を意識して書き始める。
さいわい、昨日のように積極的に「書きたくない(投稿したくない)」という感覚はなくなったため、普通に投稿はできる。書く気がなかろうと「毎日投稿チャレンジ」をやっている身としては淡々と積み上げるのみだ。
10月から2ヶ月はアイデアのBurning期だったな。書きたいことが毎日浮かび、1日に2,3記事など書いたりもしていたが、興味深いことに私はその日書いて投稿しなかったものを後日投稿する気になれない。(このnoteは1日1記事投稿縛りでやっている)
似たものとして、何か1つのタイトルを何日もかけて書き進めることもかなり難しい。興味が持てなくなるのだ。
ホントは、1週間かけていい記事を作って投稿する、というのがもっとも適切な記事作りであるハズなんだけど、その時のフィーリングでガーッと書いて終わりというこの仕方だけがノれる。
これはクセになっていると思うし、このクセって「いいものが書けるようになりたい」と思ってる人間にとってはよいものではないだろろうな。
それでもノらないならやらないという、こういう態度、まさにアマチュア的、趣味的な態度だなあと感じる。このnoteは仕事ではないし、それが悪いわけではないが。
ここに対して、もし「プロ」であれば、こんな仕方ではないはずだ。そこにベストな可能性が見えるのなら、ノリよりも質を優先して新しい仕方で書いていくだろう。というかそこにノるだろう。
また、もし「仕事」であれば「とにかく書いたらいい」みたいな記事をアップしてはいられない。毎日投稿を趣味でやっている人と仕事でやっている人には越えられない壁があるのだ。
仕事として書く厳しさというのは、最低限のクオリティを担保する必要があることだ。書きたくなかろうがなんだろうがクリアしなければならない質。そしてプロであれば、仕事であろうがなかろうが、それをクリアしにかかるだろう。
そういった意味から、私のnoteはまあアマチュア的で趣味的である。だから逆に、好きなことを仕事にしないほうがいい、などと言われるのはこういうことだなと感じる。
だが逆に、クオリティを速く上げたいと思うのなら、やっぱり仕事にしなきゃならんのだよなー。
趣味と仕事。その違いは、A.他者との間に設定した締め切りがあるかどうかという軸、B.お金(対価)がいただけるかどうかという軸の2×2の表にして、その右上。
締め切りがあり、お金がもらえる。この形式に、自分の「書く」をはめ込んむことがもっとも圧がかかり、能力の向上がありそうだ。
私は「毎日書く」をここに持っていきたいだろうか?と自問してみると、けっこういいかも。いや逆にいい。吹っ切れるというか。
そもそも毎日書きながら仕事は別にあって、そっちをやらないと食えない状態で、でも毎日書くこともやめない、みたいな今が実は1番きついんじゃねえ?もし書くことが仕事になり、「いい記事を書けば食える」のだとしたら、私は毎日じっくり3~5時間くらいとって記事に向き合うのだ。よさそう。
と、そう感じるのはやっぱり「仕事として毎日書く」ことを体験していないからであり、いくらお金をもらえようが次元の違うしんどさはあるんだろうなと想像するし、そもそもそんな贅沢な仕事を誰がくれるのか(誰もくれるわけねえので、それを自分で確立、獲得することこそが仕事だろう)。
などなど頭の中をただ吐き出して、今日の毎日投稿を終える。