意図的に成長する|#733S

毎日投稿733日目。ただ「成長を意識する」だけで、その度合いは段違いになるなあと実感している件についてさくっと書きたい。


3000文字は生き方の問題

最近毎日2000字以上の記事を続けてみている。

「毎日1時間で3000字書く」を目指したいなとあらためて思ってから、ちょっと意図的に文字数を増やしているのだけど。

やってみると、毎日「読んでもらえる長文」を書くことの難しさをすごく感じる。

仮に3000文字が書けたとしても、それを"飲むように"読んでもらうにどうすればいいのか?という疑問にぶつかっている。それは文章表現の技術もそうだが、そもそもの中身の問題だろうと思う。

この「ショート」の時代に毎日の長文など気が狂っている部類に入る。「毎日note投稿」をがんばっている人はたくさんいるが、手書きで(AIなしで)毎日3000字書いているような人は一般人でお見かけしたことがない。私(毎日1700字平均)ですら多い方ではないか。

けんすうさんや西野さんは毎日3000くらい書いていると聞いて、私も目指したいと思ったのだが、やってみれば「ただ書く」だけならできても、それはとても「毎日読める」ようなものにはなりそうにない。

それは今の自分の延長にはない別の何かが必要だと感じるし、読者からすれば、その「別の何か」がない3000字を毎日書かれたらたまったものではないだろう。


では、「別の何か」とは何か。

それはいわゆる「密度の高い経験」であり、そんなことが自然に起こっている「日常」だと思う。

ようはインプットの質、関わる情報の質量、属している環境が、「読める3000字/日」のアウトプットを可能にする。

あえて比較するなら、私の生き方は貧弱というか密度が薄いというか、そんな日々のほほんと過ごしている人間が吐き出す「毎日3000字」は読むにキツい。

ということを思ったので、これが合っているかどうかは別にして、じゃあそこを目指して生活を変え成長していこう。

「今できないからやめる」のではなく、「今できないから向かう」のが人間ってもんよの精神だ。

生き方自体の、インプットの質量自体の、その基準値のアップデートを連続してかけていきたい。一足飛びになんて無理でも1000段くらいに砕けばいけるんじゃね。

意地でも3000字書くのではなく、その"手前"の部分を溢れさせることによって、自然に3000字超える、という状態を作りたい。


意図的に成長する

そんなところから、「成長」について最近驚いていることを。これはやってない人は絶対やった方がいいノウハウだ。

最近、意図するだけでその成長度合いはさっぱり違うな!ということをいまさら痛烈に感じている。もう何歳になるのよオマエと思うが、いまさらだ。

人によっては当たり前のことなんだろうけど、私はこれ、あんまり考えていなかったので、過去を振り返って想像すればその損失はドデカすぎて消滅しそうな気持ちになるほどだ。

これはもう、知らない人にはぜひ今この瞬間から取り入れてもらいたい。

「何かした時、成長を意図する」

ただそれだけでいい。それだけなのに、ほんと不思議とマジで成長が起こるのだからアンビリーバボーである。

たとえば私は以前まで、筋トレやランニングをしていても、ただやっているだけであまりそこに成長意図を持ったことはなかった。

スタートする時には「やるぞ」「がんばろ」と思う。負荷をかけてキツくなれば「キツイな」と思う。終われば「よくやったな」と思う。

しかし今年になってくらいか。意図的に、しんどい時や終わった時に、「しんどい!だからさらに成長できるぞ!」みたいな言葉を頭に浮かべるようにしてみた。

たったそれだけなのだが、なんと以前と比べて急速に成長が起こった。そういったことを考えなかった時とは比較にならない速さで、たとえばランニングであれば以前まではきつかった速度や距離がラクになる。筋トレであれば確実に昨日より今日が、強化されているとわかる。

その前進の度合い自体は小さいものだが、しかし以前はこんなに短期間で「前進」が起こること自体がなかったことなのだ。

これはもう10年も走っているからこそハッキリと感じられる。過去にこれほど成長が実感できたことはない。やっていることの違いは、ただ「意図している」というだけなのだ。

しかしそれだけで、なんというか、努力がきちんと「セーブ」されて、「次に引き継がれる」ような感じだ。

同じように、仕事でしんどいこと、人間関係で嫌なこと、何かあった時には意図的に「次はちょっとはラクになるぞ」「対応できるようになるぞ」「成長するぞ」といった言葉を思い浮かべる。それだけで次が本当にラクになる。

以前なら、しんどいことがあった時はしんどいと思うだけ。どうすればよくなるかな?などは当然考えていたが、それはちょっと客観的というか自分を他人事に見ているというか。自分自身がそのしんどさをしっかり受け取り肯定し、さらに成長するんだ、みたいな意図もイメージも持っていなかった。

たったこれだけのことなのに、日々を重ねるごとに強くなっている実感がある。痛めつけられると成長する。瀕死になって覚醒するサイヤ人になった気分だ。

同じしんどさの中を過ごしている人でも、前に進んでいく人とずっとそこにとどまる人、その違いはこれではないだろうか。

ナチュラルにこういう思考クセを持っている人は、そりゃ進み具合が違うわなと。みょうになんでもやれちゃう人、習得していっちゃう人ってのはいるが、そういう人と自分の違いはここなのかもしれない!と、この発見に興奮している。

あなたもぜひ「意図的な成長を起こす」実験をしてみてほしい。


ご機嫌なメンシプ

という感じで、今日も2000字を越えてきたのでこのあたりで終わりにしたい。

いや最近もメンバーシップが相変わらず楽しくて、ほんと作ってよかったなあと思っているし、参加してくれている人がいてくれることに毎晩感謝の祈りを捧げている。

運営はほぼ日刊で、だいたい毎日何かしらの投稿をしている状況だ。今日は限定音声を一本アップした。

メンシプも含めて、このアカウトを今後どんなふうに変化させていこうかなとアレコレ妄想が捗るが、その一環として、この「tosh」アカウントはもう「私TOSHINORIの裏アカ」という位置づけをやめようと思う。

tosh自体が1つのメインアカウントでありキャラクターである。自分の中でそんなイメージになってきたし、そうしていきたい。

これは私の中での話だから、読んでくれている人にとって何かが変わるということはないだろうけど。

今後表アカウントとは分かれて、これも1つの表アカウントとして、運営を重ねていきたい。

さらばTOSHINORI。お前はお前で勝手にやってくれ。こっちはこっちで勝手にやるから、という気持ちで独立宣言。

(なお呼び名はどっちでもいいのでおかまいなくです)


p.s.

そういえば昨日2025-02-18でこのnote2周年だったのよ。今日から3年目のタイミングに、この独り立ちするぞ、みたいな心境。なんか区切りがいいなあ。流れ◎

いいなと思ったら応援しよう!