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⒎ 祈りと感謝の先

もう年末です
本当に今年はいろいろあり過ぎました。


↑これの続きを書こうと思いましたが
思い出すと
結構心情的にツラい部分多く書けなかったのですが、
もう年末。

サラっと書いて締めくくろう!と思い書いてます。


初めての手術

もともと虚弱であり病気にもなりましたが
入院や手術はした事がなくすべてが初めてでした。

生きていくための透析に必要な
その初めての簡単な手術もうまくいかず、ひと月に3回も手術を受けました。
原因もわからず絶望の淵に立たされて、もう命を断つことも考えました。
けれどそこは病院。
糸切りバサミでさえ持ち込み禁止され、
上階である病室の窓も換気くらいの狭さしかあきません。

それに
後に残るまだ嫁入り前の姪っ子への影響もあり
それが私を踏みとどまらせました。

休む1ヶ月

あまりにうまくいかない事象にドクターも頭を抱え
次の1ヶ月は専門のところへ検査を依頼したり
(結局、原因不明でしたが)

自分が出来ることも考え
食べられないものが多すぎた私は
一般の透析食に変更してもらう事を決め
毎食後、どれだったらどうにか食べられるか、
同じ食材でもどんな調理なら食べられるか、
食後の心身の状態やよく変動しやすい熱や血圧も
ノートに細かくメモし続け、
管理栄養士さんに報告しながら共にメニューを考えていきました。

そうして1ヶ月間心身を作った翌月、
4回目の手術が決行される事になりました。

毎日のお祈りもしてきました。

最後の手術

もうこの4度目は
ドクター達や
毎回担当してくれてた看護師さん達も
いつもより強く祈ってくれました。

そうして、無事手術も済みましたが
それが通常の透析に使えるようになるまで時間がかかります。

入院してからずっと首のチューブから透析していましたが
ついに、いつもしていた消毒も合わなくなったようで
激しい悪寒と高熱が出ました。
(私は薬や消毒の影響でこうなる事を、この入院中に数回体験して自分でわかりました。)

もうドクターは首のチューブを抜く事を決め、
期間ギリギリでしたが腕からの透析を決行しました。

腕からの透析開始

2週間ほどでしたかその間、
透析始まると同時に
ゼンソクのようになり咳も痰もひどく苦しみましたが
しばらくしてそれもだんだんと減り
いろんな事情で伸びた退院までには、なんとか収まりました。

そうして春に私は退院しました。

大きな感謝

本当にそこまで頑張れ、心の支えとなったのは
あきらめなかったドクターもそうですが
特に
いろいろ面倒な私のために
親身になりいくつものレシピを考えてくれた管理栄養士さんや
そのように作ってくれた調理師さん達の大きい健闘でした。

本当に本当にありがたかったです。
時に添付されたメモは
私の心を癒し元気をもらい、最後まで頑張れました。

『食こそ身体を作る
あきらめない強い心も作る』

しみじみと再実感した出来事でした。


今回もここまで読んでくださり
ありがとうございます😊

良きお年を。
皆さまの健康も祈りつつ。


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