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邪馬台国は四国にあった?
こんにちは! 四国のまんなか、高知県嶺北地方の貸し切り民泊『一軒宿さめうら』です!
民泊と関係無いんですが、ちょっと歴史の話を書きます。日本史最大のミステリーといわれる邪馬台国について。
皆様ご存じ邪馬台国。どこにあるのかというので、九州の吉野ケ里遺跡だとか、奈良の纏向遺跡だとか、さまざまな説がありますが、その中の一つに「四国説」があります。邪馬台国は四国にあった、という話です。
超ざっくり言うと、邪馬台国の中心地は徳島県神山町で、そこを中心として四国山地で邪馬台国は発展していたのですが、白鳳地震(昔の南海トラフ地震)で壊滅したので奈良に遷都して平城京につながっていく、という話です。(ご興味ある方はyoutubeなどごらんください)
邪馬台国が九州なのか近畿なのか、それとも四国なのか。それは誰にも分かりませんが、私も四国住民ですし、四国にあれば面白いなとは思います。で、もし四国に邪馬台国があったとすると、ひょっとして、うちのあたりも邪馬台国の一部だったのでは? と、思ったわけです。
なぜかというと、ここは徳島じゃなくて高知なんですが、吉野川流域なんです。古代の徳島に邪馬台国があったとして、その中心にある吉野川をさかのぼってきたら、祖谷(大歩危・小歩危)を通り、高知県嶺北地域に至ります。
赤丸のところが嶺北地域です。ここは棚田が多いのです。前の記事でも紹介しましたが、広大な棚田がある。なぜかというと、山がなだらかなんです。
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地図で見ても、山がなだらかな黄色いところって、四国中心部には、そんなに無いんです。ほとんどが赤茶色いところ。ここは、切り立っていて、棚田がつくれるような傾斜では無いんです。
棚田は、どこでも作れるわけではなくて、それなりの、ゆるやかな傾斜があるところが良いわけです。で、吉野川上流域でなだらかなところとなると、高知県嶺北地方だけといってもいい。
水が豊富で、山がなだらか。そこに棚田があり、米がつくられている。なので、もし邪馬台国が四国にあったとしたら、ここは数千年前には邪馬台国の田舎であり、農村地帯であり、食糧庫だったんじゃないかなと思ったわけです。
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さて、さらに妄想を膨らませてみます。もし邪馬台国が四国にあったとしたら、中国からの使者は、どういう道のりでやって来たのか。
邪馬台国といえば三国志の魏志倭人伝でして、そこに邪馬台国に至るルートが書かれているわけです。その最後、邪馬台国に至るには最終的に(どこがスタートか分からんけど)「水行10日、陸行1月」で着く、と書かれています。船で10日進んで、そのあと歩いて1か月かかるよ、ってことです。
四国説の言うように徳島県神山町に邪馬台国があったとして、歩いて1か月というと、四国のどこに上陸したのか。
1か月も歩くとなると、どれだけ進むのか。雨の日もあるだろうし、一人じゃなくて集団だから1日で何十キロも進めはしないけど、ま、平均10キロぐらいは進むとしましょう。となると、300キロぐらいは離れていないといけない。神山町から300キロとなると、四国の西の端になります。ほとんど、四国を横断する距離になります。
四国を横断する道となると思いつくのが、現代の国道439号。四国の山中を通って、神山町まで至るルートです。
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でも、そもそもなんで歩いて行くの? 船で徳島市あたりに上陸したほうが楽じゃね? って疑問があるかもしれません。先に紹介したyoutube動画にもありますが、四国説の解釈では、通行が危険な関門海峡(九州と本州の間)を船で通りたくないから、一度、九州で陸路をはさんでいるという解釈です。
そして、関門海峡以上に船の難所といわれているのが、瀬戸内海の来島海峡と鳴門海峡です。
古来より「一に来島、二に鳴門、三とさがって馬関瀬戸(関門海峡)」という、海の難所ベスト3があるんですが、その2つが瀬戸内海で、九州から瀬戸内海を通って徳島市まで行こうとすると、来島海峡も鳴門海峡も通らないといけない。
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じゃあ、太平洋周りでいこうかと思っても、そちらには黒潮がある。下手したら流されてハワイまで行っちゃう。そうなると、太平洋に出る前の安全な高知県宿毛市あたりで上陸して、あとは歩いていくのが良かったんじゃないでしょうか。
そうなると、古代、魏の国の使者がうちの近所というか、目の前も通っていたのかもしれないな、なんて思うわけです。曹操の使いですよ。三国志の登場人物ですよ。彼らが卑弥呼様に会いに行く途中、このへんで宿泊しておにぎりとかも食べていたと思うと胸熱です。
もし、四国の田舎のこのあたりが、邪馬台国から中国へ至る通行路だったとすると、宿屋なんかもあったでしょうし、魏の使者も泊まっていたかもしれない。そして私も2000年後に中国からの観光客を泊めたりしてて。不思議な縁を感じます。
なんて感じで邪馬台国に思いを馳せて、四国のまんなかで民泊をやってます。まだまだ暑い日が続きますが、川遊びには最高ですので! ぜひ遊びにきてください!