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【四国】2000年、変わらない風景
こんにちは! 四国のまんなか、高知県嶺北地方にある貸切一棟貸しの『一軒宿さめうら』です!
私たちの宿がある高知県嶺北地方は、いわゆる中山間地というところで、
ほとんど平地がありません。そして、米どころでもあるのですが、田んぼも平地にあるのではなく、ほとんどが「棚田」になります。
宿から車で十数分も行けば、絶景の棚田を見渡せるスポットがいくつもあります。個人的には、土佐町の「高須の棚田」や、本山町の「吉延の棚田」がおすすめ。
↓こんな田んぼを、機械も無い時代に手作りしているって、ちょっと想像できません。
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さて、この棚田を見た人からよく言われるのは「こんな山の中に田んぼを作らなきゃいけないなんて、大変だったろうねぇ」ということ。
どういうことかというと、田んぼというのは普通、平地に作るものであって、平たい土地が無いからしょうがなく、山の斜面に田んぼをつくっている、という考えです。
でも、これって違うんですよ。逆。どっちかというと、平地に田んぼをつくるほうが大変。山に棚田を作るほうが簡単です。
ちょっと、脳内をタイムスリップしていただいて、数百年とか数千年前に思いをはせてください。ユンボ(ショベルカー)も無い。ダムも無い。コンクリートの堤防も無い。そんな時代です。
当然、川って氾濫します。平地は氾濫するんです。っていうか、氾濫するから水の力によって地面の凹凸が無くなって、その結果、平地になっている、とも言えます。
ですからまず、平地は洪水リスクがある。平地で田んぼをつくると、せっかく実ったお米が、秋の台風で川が氾濫して、すべて流されてしまうということが起こるわけです。
そして、田んぼというのは水が必要です。水は高いところから低いところに流れます。今だったら水路やポンプもありますが、そんなものが無い時代は、自然に上から下へと流れる水を、どうにか引っ張ってきて、田んぼに入れるしかありません。
平たい土地でこれをやるのって、むっちゃ大変です。それに普通、平地の川というのは、平地より低いところを流れているわけです。そこから水を、どうやって、田んぼまで上げていくのか。(無理)
そこへいくと、棚田というのは、とても簡単なんです。水を引くにも、山ですから、そこらの沢から引いてくれば良い。そして、洪水も無い。大雨が降って川があふれて田んぼが水に漬かってしまう、ということは、棚田では絶対に起こらないんです。
「棚田は面積が小さくて、作業効率も悪いし大変」というのは、あくまで、灌漑設備が整って、治水ができて、平地にきちんとした区画の田んぼができて、おまけに機械化して四角い田んぼだと作業効率が良くなった、ここ数十年の話です。それまでは、棚田のほうがつくりやすい。
ですから、関東平野とか、越後平野とかで、見渡す限りの田んぼがある、なんていう風景は、あれは近代化の果ての風景です。昔ながらの田んぼというのは、棚田。田んぼといえば棚田、ということです。
話は飛びますが、『古事記』に田んぼの風景が出てくるシーンがあります。スサノオが、姉であるアマテラスの田んぼの「畔(あぜ)」を壊すという悪行をする、という話です。
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畔(あぜ)というのは、田んぼの間の道みたいなところです。畦道(あぜみち)を歩く、とかいいますよね、あれです。畔を壊すことの何が悪いのか、よく分からないでしょう。あの道を壊すってどういうこと? 歩けなくなるから悪いの?
これは、田んぼを「平地の田んぼ」と思っていると、分からないんです。その悪さが伝わらない。でも、これ「棚田」だと、すごく悪行です。
棚田の水は、上の棚田のオーバーフローが下の田んぼに行き、またそのオーバーフローが次の田んぼに行く、という形での水の流れがあります。畔を壊すことで、水がすべてこぼれてしまうから、そこから下の田んぼ、すべてがダメになるわけです。
というね、すごく悪いことなんですよ、「棚田の畔」を崩すということは。すべて連携されている水システムを、途中でぶった切るということです。
平地の田んぼだと、メインの水路からそれぞれの田んぼに水が入っていき、その田んぼだけで完結する場合もあるので、それほど被害が無いんです。そりゃ、悪いことだけど、めっちゃ悪くは無い。
ということで、古事記のスサノオが「畔を壊す」という悪行をしていることから、ああ、これは平地の田ではなく棚田なんだな、と思ったわけです。
古事記の時代ですから、2000年ぐらい前ですか、そのぐらいから日本には棚田というものがあり、おそらく、今と変わらない風景が広がっていたことでしょう。
良いことか悪いことかはともかく、四国のまんなかというのは農業整備も遅れており、それほど「きちんとした」区画の棚田というのは、あまり見られません。
自然の山の形に添った、四角くない、自然の形の棚田が広がっています。おそらく2000年前か、それよりももっと前からかもしれませんが、今も同じように、割った竹で沢から水を引いたりという田んぼがいくつもあります。
田植えや稲刈りの季節には、そんな棚田の絶景が見られますので、ぜひ四国のまんなかに遊びにきて、古事記の時代に思いをはせてみてください。 それではまた!