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12.肥のさづけ

教祖は、山中忠七に、「神の道について来るには、百姓すれば十分に肥も置き難くかろう。」とて、忠七に、肥のさづけをお渡し下され、
「肥のさづけと言うても、何も法が効くのやない。めんめんの心の誠真実が効くのやで。」と、お諭しになり、
「嘘か真か、試してみなされ。」と、仰せになった。

忠七は、早速、二枚の田で、一方は十分に肥料を置き、他方は肥のさづけだけをして、その結果を待つ事にした。

やがて8月が過ぎ9月も終わりとなった。
肥料を置いた田は、青々と稲穂が茂って、十分、秋の稔りの豊かさを思わしめた。
が、これに反して、肥のさづけの肥だけの田の法は、稲穂の背が低く、色も何だか少々赤味を帯びて、元気がないように見えた。

忠七は、「やっぱりさづけよりは、肥料の方が効くようだ。」と、疑わざるを得なかった。 
ところが、秋の収穫時になってみると、肥料をした方の田の稲穂には、虫が付いたり、空穂があったりしているのに反し、さづけの方の田の稲穂は、背こそ少々低く思われたが、虫穂や空穂は少しもなく、結局実収の上からみれば、確かに、前者よりもすぐれていることが発見された。

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お米の収穫の時期になると、このご逸話を思い出します。

「肥のさづけと言うても、何も法が効くのやない。めんめんの心の誠真実が効くのやで。」というお言葉があります。

肥のさづけとは、このさづけをいただいた者が、
土と灰と糠を一定の割合で混ぜ合わせ、肥料の代わりに田畑に撒くと豊作になるというさづけのことです。

家のことを心配せず、神様の御用に励むことができるよう、 
との親心から肥のさづけを戴かれたのです。

肥を置かずに作り取り
というみかぐらうたのことですね。

このように忠七さんにも「さづけ」や「をびや許し」と同様に、ためしをさせて、間違いのないことを納得させておられます。

みんな一人一人、それぞれの持ち場立場の中、
ちょうどいいように先を楽しめるよう、いろんなプレゼントを神様から戴いているのですから本当にありがたいことです。


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