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11. 神が引き寄せた

それは、文久四年正月なかば頃、山中忠七三十八才の時であった。
忠七の妻そのは、二年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、
既に数日間、流動物さえ喉を通らず、医者が二人まで、「見込みなし。」と、匙を投げてしまった。

この時、芝村の清兵衞からにをいがかかった。
そこで、忠七は、早速お屋敷へ帰らせて頂いて、教祖にお目通りさせて頂いたところ、お言葉があった。

「おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。
その代わり、おまえは、神の御用を聞かんならんで。」

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このご逸話には書かれていませんが、忠七先生が37歳の時、
跡取り息子が悪性のはしかに罹り床に伏せている間に、三女が病で出直し、父親も出直してしまいました。

そして、涙も乾く間もなく、
長女が16歳で突然出直し、その年の秋には妻のそのさんが日に日に弱っていかれ、とうとうダメかと思いながらも、
これが最後と思いながらお屋敷へ向かったのでした。

教祖は、
「神がその心を見定めようと思うていろいろに手入れをした。
それにも飽きず、今日はよう来た。たすけてやろ。」
と仰せられたのです。

私たちは、
引き寄せられた因縁はそれぞれ違いますが、
そのさんと同じように、御用に使いたいという思いはみんな同じです。

病気は辛く苦しいものですが、そこには親神様の思いが込められており、
どうしてなりと引き寄せたいという用向きであり、
手引き、道教え(みちおせ)です。

私たちは選ばれし人であることを自覚し、
最後のひと踏ん張りが大切だということを、あらためて胸に深く刻みたいですね。


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