9. ふた親の心次第に
文久三年七月の中頃、辻忠作の長男由松は、当年四才であったが、
顔が青くなり、もう難しいという程になったので、忠作の母おりうが
背負うて参拝したところ、
教祖は「親と代わりて来い。」と、仰せられた。
それで、妻ますが背負うて参拝したところ、
「ふた親の心次第に救けてやろう。」とお諭し頂き、四、五日程で、
すっきりお救け頂いた。
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文久三年というのは、辻忠作先生が妹くらの病を助けられ入信した年です。
つまり、このご逸話は、入信間もない辻忠作一家へのお諭しでした。
しかし、半年後今度は長男由松をたすけていただいたにもかかわらず、
お屋敷へ運ばなくなってしまいます。
すると、妹のくらは、病気が再発し、実家に戻されてしまいます。
これも「手引き」として
辻忠作夫妻をおやしきへ引き寄せるために、子供の身上にしるしを
見せられたと聞かせていただきます。
このことから、教祖が辻忠作さんに伝えたかったのは、子の身上は親の心遣いにあること、そして家族が一丸となって信仰する心を定めるようお促しになったのだと記されています。
忠作さんは、深くさんげし、
心を入れ替え、再び熱心に信仰することになりました。
そしてくらさんも、正気になり、復縁したということです。
信仰は家族ぐるみで、親から子、子から孫へと深めていく、成人の道です。
まず親が、その成人の第一歩となる、心を定めることが大切だと教えられたご逸話です。