見出し画像

8. 一寸身上に


 文久元年、西田コトは五月六日の日に、歯が痛いので、千束の稲荷さんへ詣ろうと思って家を出た。
千束なら、斜に北へ行かねばならぬのに、何気なく東の方へ行くと、別所の奥田という家へ嫁入っている同年輩の人に、道路上でパッタリと出会った。

そこで、「どこへ行きなさる。」という話から、「庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆、救けて下さる。」という事を聞き、早速お詣りした。

すると、夕方であったが、
教祖は、「よう帰って来たな。待っていたで。」と仰せられ、
更に、「一寸身上に知らせた。」とて、神様のお話をお聞かせ下され、
ハッタイ粉の御供を下された。

お話を承って家へかえる頃には、歯痛はもう全く治っていた。
が、そのまま四、五日詣らずにいると、今度は、目が悪くなって来た。
激しく疼いて来たのである。
それで、早速お詣りして伺うと、「身上に知らせたのやで。」とて、
有難いお話を、だんだんと聞かせて頂き、拝んで頂くと、かえる頃には、
治っていた。

それから、三日間程、弁当持ちでお屋敷のお掃除に通わせて頂いた。
こうして信心させて頂くようになった。
この年コトは三十二才であった。

************************

西田コトは
「よう帰ってきたな。待っていたで。」
という温かい教祖のお言葉に、初めて教祖にお目にかかったとは思えない安らぎと癒しを覚えたと言います。

天理教では、身上、すなわち病気を「手引き」とお教え下されています。
「手引き」は身上によって信仰すべき人を引き寄せられたということです。

身上は、個人の因縁によって見せられることと、
またこのように引き寄せたいから見せられることがあります。

また、この方の心が定まるのは、身上を救けて頂いたことがきっかけで、
親神様の有難いお話を諄々と聞かせて頂き、心に得心ができて、
だんだんと定まっていったのだと思います。

教祖は、日々教理を聞いてなるほどそうに違いないと感じることは、
心の養いと仰せられました。

人間がお米を食べて日々の養いとするように、
日々教えの理を聞かせていただき、なるほどと感じることは、
心の養いであり、心に力ができるのだということです。

心に栄養を付けて、親の思いに近づくための成長ができるよう、努力したいものですね。


いいなと思ったら応援しよう!