山の仙人より里の仙人になれ
教祖は、先人の方々に「里の仙人になってくれ」とお話し下さったそうです。
山が修行の場ではなく、里の人こそ修行の相手、と教えられます。
日本古来の信仰が、お寺や山にこもり修行や瞑想を通して、悟りを開くものであったので、“”山の仙人“”に喩えられたのに対して、
天理教の信者には、平常通りの生活にありながら悟りとってほしいと
いうことなんですね。
社会生活の中にあって、世間に流されることなく、親神様の教えに基づいて生活するようにとお教えいただくのです。
教祖は山に於いてではなく、あえて里、すなわち現実のこの世俗社会に於いて仙人になるように教えられております。
山の中に籠って独り厳しい修行を積む山の仙人でも、人との関わりが無ければほこりは立たない。
ほこりが立たないことがいいことなのかというとそうではなく、自分の周りの人間を通して、はじめて自分では気付けない心のほこりを気付かせてもらえる。
自分では実際どんな時にどんなほこりが出るのかわからないものです。
隠れていたほこりが、人と接し、人の中で生きていくことによって、表にあらわれ、自分の中のほこりと対面し、直視することになる…。
心のほこりの掃除とは、人との関わりの中で本当の自分の心と向き合い、自覚し、成されていくもの
道を求める者は、日常生活の中にこそ心の成人が培われるもの。
俗にいて俗に堕せず、世間の中にいて世間にまみれることなく、日常生活の中で「陽気ぐらし」を目指すこと。
そして教祖は、こうもおっしゃいました。
人の中でほこりの掃除をして生きる里の仙人の方が偉いのや…と。