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13.種を蒔くのやで
摂津国安立村に「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。
二人の間には、次々と子供が出来た。
もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。
それで、タツは、大和の国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。
しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。
すると教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」と、仰せになった。
タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。
すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻るのやで。」とお教えになった。
更に、お腹の子供について、「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は、男や。あんたの家の後取りや。」と、仰せられた。
このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろすことは思いとどまった。
のみならず、夫の藤助にも話をして、それからは、夫婦ともおぢばにへ帰り、教祖から度々お仕込み頂いた。
子供は、その年6月18日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。
こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の胸に伝えて廻った。
そして、病人があると、二人のうち一人が、おぢばへ帰ってお願いした。
すると、どんな病人でも次々と救かった。
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この時代、困窮のあまり、子供が生まれた直後に自らの手で殺めてしまうということが多くあったようです。
当時子供が増えることは、経済的負担が大きく、
そうかといって、中絶することは母子ともに命の危険が非常に大きかったので、この夫婦もどうにもできない苦しさのあまり考えた末、
「流産を神に頼む」ということだったようです。
時代によって産みたくても自由に産めないことを思う時、今の時代の有難さを思わずにはおれません。
あちこちと歩いて、神様の話を伝えて廻る、それが種を蒔くことだと教えていただき、まさしく種をまくように「にをいがけ」をして回りました。
二人は花種の商売と同時に、陽気ぐらしという名の種もたくさん蒔いたことでしょう。
種は作物が実るもと
豊かな収穫を得るための最初の作業が、種まきです。
一粒の真実の種は、やがて万倍の守護となってあらわれてくると、神様は教えて下さいました。
実際にこの人から道が伝わって、大阪真明組の講元である、井筒梅治郎という人たちが入信することになっていくのです。