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― スワンプマンという思考実験があります。

ある男性が雷に打たれて亡くなった直後、亡くなる直前のその男性と全く同一の存在が付近の沼から生まれます。この存在(スワンプマン)はその後、元の男性と同じように行動します。元の男性とスワンプマンが入れ替わったことに、誰も、スワンプマン自身すらも気付きません。

自分のそばに自分の死体があれば、異変に気付きそうなものですけどね。それで?

どう思いますか?

どう、とは?

例えばこのスワンプマンと元の男性は、同一人物と見なせると思いますか?

同一人物とは言えませんね。

それは何故?

元の男性は雷に打たれて死亡しているんですよね?そしてスワンプマンは元の男性と全く同一の、しかし別の存在であると。

そういうことです。

元の男性の自我は、元の男性が亡くなった時点で失われたと言えます。スワンプマンにも自我はあるのでしょうが、それはあくまでもスワンプマンの自我です。自我が別々の存在を同一人物と見なすことはできません。

スワンプマンの自我が元の男性の自我と全く同じだとしても?

そうです。何故ならば、元の男性の自我は死亡した時点で断絶しているからです。元の男性の意識が死後にスワンプマンへ移ったのであればともかく、そうではない。元の男性は、死後この世界を認識することはない。一方でスワンプマンは、元の男性を模倣して生き続ける。自我が同一かは関係ありません。自我が別々だから同一人物ではない、という考え方です。

なるほど。では次に、あなたの知人がスワンプマンだとしたら、どう思いますか?

その質問は思考実験の内容と矛盾しませんか?スワンプマンには誰も気付けないのでしょう?

矛盾についてはひとまず置いておいて、考えてみてください。

わかりました、そうですね……。多少興味を持つかもしれませんが、それも長くは続かないと思います。

理由を伺っても?

スワンプマンは元の人物と全く同じ存在で、誰も、スワンプマン自身すら気付けない。そうでしたよね?そして私はその事実を知っているという前提でよろしいですか?

はい、続けてください。

人ではない存在が人に紛れて暮らしている状況には興味があります。気付いてからしばらくは、知人の動向を意識して観察するでしょう。しかし、スワンプマンは元の人物と何ら変わらない存在です。いくら観察しても何の異常も見つからない。そのうち飽きるか、あるいは勘違いだと思って、元通りの生活に戻るんじゃないでしょうか。

あなたは先ほど、スワンプマンと元の人物は同一人物ではないと答えました。知人が別の存在に入れ替わっていることを知っても、平気なのですか?

そもそも、私はいつからその知人と知り合いなのでしょうか?元の知人がまだ生きていた頃からなのか、それともスワンプマンに入れ替わった後からなのか。前者ならば、誰に知られることもなく知人が死亡していたという事実は少々憂鬱ですが、入れ替わっていると言っても全く同じ存在ですからね。今まで通り接するのはお互いに容易いでしょう。後者であれば、私は元の知人を知りません。最初からスワンプマンと接していたことになります。それこそ元通りです。

スワンプマンを怖いとは思いませんか?

いいえ。スワンプマンは元の人物と全く同じ存在なんですよね?それならば、スワンプマンを怖がるということは、その元の人物を怖がるということでしょう。スワンプマンは人体に寄生して腹を食い破って産まれるわけでも、噛まれたら感染する致死性のウィルスを媒介するわけでもない。スワンプマンだから、というだけで怖がる理由がありません。

わかりました。最後に、あなたがスワンプマンだとしたら、どう思いますか?

うーん……。どうも何も、そうだったのかー、と思うくらいでしょうか。

自分が既に死亡しているという事実に対しては?

いや、私は死んでいないでしょう?この場合、死んだのは元の私です。スワンプマンとしての私は、今もこうして生きている。その質問は元の私でないと答えられません。ですが、私は元の私と全く同じ存在なので、答えを想像することはできます。きっと元の私と同じ答えです。

聞かせてください。

死にたくなかったと思いますよ。何故ならば、私が死にたくないからです。死んだらそこで終わりです。欲しい物、行きたい場所、会いたい誰か、もう何も得ることができません。私がやりたいと思っていること全て、元の私もやりたかったことなのでしょう。それを叶えられないまま死んでしまった。この世に未練たらたらだと思いますよ。化けて出るかも。

ありがとうございます。もちろんこれは思考実験ですので、スワンプマンなんて実在しませんし、あなたは人間ですけどね。

実在しないと言い切れますか?

― はい?

私やあなたが、スワンプマンのような存在ではないという証明は不可能です。もちろん、スワンプマンのような存在であるという証明も不可能です。そしてそれは大して重要なことではありません。重要なのは、私が私であること、あなたがあなたであること、それだけです。

― ええと、はい、ありがとうございました。

はい、ありがとうございました。