令和日本紀行 -3: 日向国の旅
今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録していくことにしました。第3回は、日向国(宮崎県)を取り上げます。
令和5年3月末時点で、マイナンバーカードの普及が最も進んでいるのは、宮崎県(人口に対する交付枚数率: 79.9%)である。都城市の交付率は全国で最初に90%を超えた。その理由は不明だが、個人的に数年前に訪れた際、その自然及び文化と日本神話の発祥に感銘を受けたことを思い起こしながら、この地について書いてみたい。
日向は「ひゅうが」の他に「ひむか」とも読まれる。第12代の景行天皇が「この国は日の出の方を直に向いている」と述べたことによる。
そもそも、天皇家の祖先は、天照大神の孫のニニギであり、高千穂に降臨した。そこで、火折尊(ほのおりのみこと)(山幸彦として有名)を含む兄弟が生まれたという。火折尊の孫が神武天皇となる。
神武天皇は、日向国から東遷し、大和国(現奈良県橿原市: 私の故郷)で初代天皇に即位したというのが伝えられる。すなわち、高千穂峡は、単なる景勝の地であるとともに、日本の歴史の起点なのだ。
高千穂峡から、東方に向かうと日向海岸に着く。日向岬では、リアス式海岸に柱状節理を観察でき、馬ヶ背からの日向灘の景色を堪能できる。
宮崎市の青島も、「鬼の洗濯板」と呼ばれる砂岩階段状に侵食され形成された天然記念物で有名。昭和時代においては、新婚旅行のメッカであった。昭和時代には、新婚旅行のメッカであった。さらに、南に向かうと、サンメッセ日南において、モアイ像を観ることができる。ラパ・ヌイ(イースター島)のモアイ像の修復と、日本での復刻の経緯については、ここでは触れない。
さて、私が都城市に宿泊した当時は、マイナンバーカードの姿も影もなく、かつ、巨人軍のキャンプの時期でもなく、都城島津邸だけが印象に残った。島津氏の祖である島津(惟宗)忠久は、源頼朝によって、大隅国・薩摩国・日向国の守護職を任ぜられ、最初にこの地に赴任したという説がある(事実である可能性は低い)。ちなみに、忠久の母は、源頼朝の乳母であった比企尼の娘の丹後内侍と推測されるが、実父については、不明であり、頼朝であるとの説もある。
日向国は、日本史の原点であり、中世以降は島津家の統治下において繁栄した。宮崎県になってからは、温暖で風光明媚な特色を生かして、観光産業が発展した。東国原英夫氏による県政も良く、現在の河野俊嗣県知事の下においても、政治・経済は安定していると思われる。
マイナンバーカードの普及率が高い理由はやはり不明だが、デジタル田園都市国家構想に基づく先駆的な試みを期待したい。