令和日本紀行 -13: 蝦夷地(道南地方)の旅
今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録しています。今回は、北海道札幌市よりも南に位置する支笏洞爺国立公園から室蘭市、苫小牧市等の工業地帯にかけての地域の自然、歴史等について記述します。
幕末まで、本土から蝦夷地と呼ばれていた広大な島は、1869年(明治2年)8月15日の太政官布告で「北海道」と呼ばれることとなった。名付け親は、探検家の松浦武四郎。1845年から1858年にかけて、6回の蝦夷地探検を行った。
1857年、松浦は千歳から山道を踏破して、支笏湖を発見した。後に、その道を辿り、王子製紙が千歳川沿いに水力発電所を建設したらしい。
新千歳空港でレンタカーを借りて、支笏湖の南岸を通り、羊蹄山を眺めながら、洞爺湖北岸に着く。典型的なカルデラ湖に浮かぶ中島を観つつ、「洞爺湖芸術館」にて、洞爺湖ビエンナーレの現代アートの展示を鑑賞するのは、最高の道楽だ。
支笏湖の雄大な景色と洞爺湖の端正な景観美は、国立公園の概念を超えている。洞爺湖の南岸の温泉街を訪れているのは、アジアの富裕層。日本の美に関心がある。
1943年、有珠山の麓に誕生した昭和新山は、子供の頃に小学館の図鑑シリーズで覚えたが、実物は確かに迫力がある。
洞爺湖から伊達市に下りてきて、「だて歴史文化ミュージアム」
を見学。伊達成実を藩祖とする亘理伊達家が、戊辰戦争の敗者となり、武士として存続するため、退路を絶ってこの地に移住した。アイヌからの支援を受けて、苦労の末に北海道で初の製糖工場を建設したとのストーリー。よく頑張ったと思う。
伊達市の東に接する室蘭市は、明治3年に開港された北海道で最も進んだ産業都市であったが、日本製鉄の高炉の縮小等により、中心市街地はゴースト化している。
ただ、太平洋に面したダイナミックな景観は、北海道随一であり、観光都市としてのポテンシャルは高い。
道南地方最後の見どころは、白老のウポポイ(正式名称:民族共生象徴空間)。私は、30年以上前に、大昭和製紙株式会社の白老工場を見学させて頂いた時に、この湖の地を訪れ、観光客相手のアイヌの芸能を見た記憶がある。
時は流れ、1997年に北海道旧土人保護法が廃止され、2020年に国立アイヌ民族博物館が設立された。日本社会の成熟度が高まったようにも思えるが、同博物館及びウポポイの知名度は低い。
コロナ禍のため、ウポポイ開園が遅れるなど不運があったが、未だ入園者数は目標を大きく下回る。
悲しいことに、一部保守系の政治勢力は、日本政府がアイヌを先住民族として認定したことについて、他国からの工作を疑う始末だ。
松浦武四郎は、和人によるアイヌに対する圧迫、搾取を嘆き、新政府の開拓判官として、商人とアイヌ民族の関係改善等を強く求めた。しかし、それは認められず、下野した。
低迷する経済の下、日本人が再度世界史での誉れある地位を占めるためには、蝦夷地以来の北海道の歴史を直視し、一人一人が何をできるかを考えることが必要だと思う。
新千歳空港の国際線ターミナル側にあるストリートピアノを弾いて、熱心に聴いてくれたマレーシア(華人)の家族と仲良くなった。北海道で10日滞在した、とても素晴らしい国だ、と言ってくれた。
今後の北海道、いや日本の進むべき道が見えたような気がした。