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音楽家と歴史・社会 -2: ベートーヴェンの人物像と作品の名称

音楽に係る歴史、社会等に着目して書いています。今回は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年 - 1827年)の人物像と作品の名称についてです。

いきなりだが、私はベートーヴェンに似ている。勿論、音楽の才能ではなく、酒を飲んで騒ぐのが好きという点だ♬

ベートーヴェンは30歳頃に、難聴のため音か聴こえなくなったが、ワインの甘味料の酢酸鉛の中毒が原因という説がある。

音楽家としての致命的な難聴を乗り越えたことで後に神格化されたが、過度な飲酒癖は治らず、56歳で肝硬変により死去した。

NHK「玉木宏 音楽紀行」によると、"ベートーヴェンの会話帳〟にはワインを大量に注文した記録も残っており、「ポンス(パンチ酒)の歌」も作曲していた。

我々が見るベートーヴェンの肖像画は、芸術に没頭する気難しい性格を想起させるが、生活面では酒好きで上流階級の女性に惚れやすい、時々癇癪を爆発させる、人間味溢れる男であったようだ。

さて、彼の多くの作品には、印象的な名称がつけられているが、その多くが出版社が営業用としてつけた又は彼の死後につけられたものだ。

例えば、交響曲第5番ハ短調の通称「運命」は、ほとんどの日本人が知っているが、欧米で"Fate"はさほど有名ではない。

ベートーヴェンの弟子兼秘書のアントン・シンドラーは、後に「ベートーベンの生涯」という伝記を書き、ベートーヴェン解釈に大きな影響を与えた。交響曲第5番ハ短調について、ベートーヴェンは、第1楽章の冒頭を指さして、「このようにして運命は扉を叩くのだ」と言ったとの記載があるが、その信憑性は低い。

ダダダ ダー「運命のモティーフ」は、同じくベートーヴェンの弟子のカール・チェルニーによると、鳥のさえずりにヒントを得たとのこと。ピアノソナタ第23番「熱情」ヘ短調の第1楽章にも出てくるので、重要な主題であったことは確かだ。

ちなみに「熱情 - Appassionata」も、ベートーヴェンの命名ではなく、1838年にハンブルクの出版商が副題としたものである。本曲は、ピアノの性能を最大限発揮させるよう、非常に精巧に作られた作品であり、作曲家の感情を顕にしたものではない。

ピアノ協奏曲第5番変ホ長調の「皇帝」も、後につけられた。ベートーヴェンが、皇帝となったナポレオンを賛美して、命名したという理解は、完全に間違っている。

本曲が作られていた1809年頃、ナポレオンはウィーンを包囲し、オーストリア皇帝フランツを初め、ベートーヴェンを支援してきたルドルフ大公など貴族たちも疎開していた。

本曲は、ルドルフ大公に献呈され、1811年1月13日に行われたロプコヴィツ侯爵宮殿で、ベートーヴェンの弟子でもあったルドルフ大公によって非公式に演奏された。

「皇帝」という通称は、別の音楽家によって、雄渾壮大、威風堂々の楽想から、付けられた愛称らしい。

他にも、彼が意図しなかった曲名があり、その紹介はキリがない。

このため、私自身は「悲愴ソナタ」「月光ソナタ」などの情緒的な呼称は、あまり使わないようにしている。ちなみに「ラズモフスキー」「クロイツェル」など固有名称については、由緒が明確なので、よろしいかと思う。

いずれにせよ、個人的には、先入観を持たずに、ベートーヴェンを鑑賞あるいは演奏して行きたいと思う♬

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