令和日本紀行 -2: 上野国の旅
今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録していくことにしました。第2回は、上野国(群馬県前橋市及び高崎市の周辺)を取り上げます。
あと2週間で、2023年「G7群馬高崎デジタル・技術大臣会合」が開催される。世界的なデジタル革命のあり方について、先進国のデジタル行政のトップが議論するのだ。その背景は後述することとして、まずは、日本の産業史と上野国の関係を観ていく。
上野国は、上州あるいは上毛と呼ばれてきた、かつての東山道に属していた地域だ。奈良時代から。良馬の産地として重要視された。平将門の頃から、有力な武士団が進出し、鎌倉時代以降は、源氏一門、関東管領、後北条氏、武田氏に支配され、江戸時代以降は、沼田藩、前橋藩、安中藩、高崎藩等が置かれた。
地理的には、榛名山、赤城山の山々に囲まれ、浅間連峰を信濃国との境とする。山間部の温泉観光等に加えて、関東平野北部での工場立地も盛んである。
私は、例年、10月初旬の「情報セキュリティワークショップ in 越後湯沢」に参加した後、高崎市、前橋市周辺で一泊し、上野国の歴史や風土を楽しむことにしている。令和4年10月には、明治の殖産興業の大プロジェクトとなった富岡製糸場を訪問し、その威容に感動した。
明治政府は、リリアンタール商会横浜支店に生糸検査人として勤務していたポール・ブリューナをスカウトし製糸工場を設計させ、渋沢栄一の従兄の尾高惇忠を初代場長に任命した。労働者を募集したところ、外国人に生き血が吸われるとの迷信が流布したので、惇忠の娘ゆうが率先して第一号伝習工女となった。
後に経営難となった際に、初代群馬県令の楫取素彦が政府に意見書を提出して、富岡製糸場を存続させた。彼らの努力により、生糸の輸出が躍進し、近代日本の貴重な外貨獲得手段となった。
さて、日本がデジタルに活路を見出そうとする中で、この地は脚光を浴びている。海から遠い、地盤も強固という利点を活かし、データセンターの誘致を進めている。NTTは、本社機能の一部を高崎市に移転させる。
さらに、前橋市で生まれた「まえばしID」は、昨年10月に「めぶくID」に名称が変更され、地域の経済、福祉等に使えるデジタルIDの先駆けとなった。マイナンバーカードの普及率が80%を超えることが確実となっており、それを身元確認手段とする「めぶくID」による「デジタル田園都市国家構想」の成功を期待する声が多い。
名馬の産地、生糸の産地を経て、令和のデジタル産業の先進地域となることがほぼ確実となった上野国を、また訪れたいと思う♬
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