大宮八幡宮を創建した源頼義(清和源氏の歴史:番外)
約1年ぶりに、「清和源氏の歴史」について書く。
続編というほどではなく、個人的な祝い事で、東京都杉並区の大宮八幡宮に参詣したことを記すだけである。
大宮八幡宮は、源頼義により建立された武蔵国の三大宮の一つである。「多摩の大宮」とも呼ばれてきており、都内の神社の中で3番目の広さを持つ。子育て・安産に御利益があるとされる。
源頼義は、1051年に起きた前九年の役において、朝廷の命を受けて、鎮守府将軍として、奥州に向かった。
その途中、頼義は、武蔵国(現在の東京都及び埼玉県)にて、空に八条の白雲が棚引いているのを見た。頼義は「八幡大神の御守護のしるしである」と吉兆とみなし、無事に反乱を鎮圧した後の1063年、この地に石清水八幡宮の分霊を祀り、神社を創建した。
源頼義の嫡男の源八幡太郎義家も、後三年の役を平定した後、社殿を修築し、境内に一千本の若松の苗を植えた。現在、「義家公 手植松跡」として、当時を偲ばせる史跡がある。
このようにして、関東における清和源氏の地位は磐石なものとなるにつれ、多摩の大宮八幡宮は、清和源氏以降の武家の棟梁からの庇護を得て、現代に至る。
個人的にも、久しぶりに清和源氏の所縁の場所に来れて、良かった。