【京都−佐渡】脈は一度も途切れないケロ。
京都から車を走らせ、日本海を渡り、島へやってきた。ここ佐渡ヶ島で絶賛夏休み開催中🐳。なんでか今年は、押し寄せる波のようにたくさんの人から連絡がくる。基本5、6人が家に集まっていたけれど、明日からはさらに増え、MAXで13人になる。2年前、ひとりでこのお家を掃除していた頃「こういうこと(大人数のカオス)になれ!」と思いまくっていたので嬉しい。しかも、昨年一緒にステージに上がったバンドメンバー全員が大集結をするので、これはもしかして、沢根ライブあるんじゃないかと、ホコリにまみれながら、いつか...と心に描いたSAWANE LIVEあるんじゃねえかと、武者震いが止まらない。
何人か、既に帰った人もいる。帰り際、その人たちから「本当に楽しい夏休みをありがとう」と言われた。夏休みは自分からするものであって、もらったりあげたりするものじゃない。だから、きっと、あの人たちは自分から受け取ったのだなあ、と思う。夏をとっ捕まえたいと考えている僕は、まだまだ、掴めていない。どうやって受け取ったのだろう。あの人たちが見つけた夏は、どんな形で、どんな色で、どんな感触がするものなのか聞いてみたい。
今日、8月13日はお盆真っ盛りということで、お墓の掃除をした。ブラシとバケツ、ジョウロをふたつ使って、ごしごしとやる。何度か水を替えている間に、野花を摘んできてもらい、墓前に供える。一昨日、夕方にうとうとしていたら、女の人の話しかけてくる声が聞こえたりしたこともあり「ご無沙汰しておりました」と念じていると、カエルがひとり、ピョコりと座っていた。このカエル、なんか思ってそ〜。と思った。
この家やこの土地に暮らしてきた人たちを想うと背筋が伸びる。先達たちはどんな風に過ごしていたのだろう。想像の域は超えないけれど、ここに居たことは確実で、変えようのない事実だ。
過去は断定的で、何かがあったことや起こった出来事は変わらない。この先もずーっと変わらない。誰かがここに居たという事実が、彼の血が、彼の脈が、今、自分の心臓を動かしているという事実が、僕の夏になって、この胸を躍らせる。
僕がこの胸にもつドクンは、なんと一度も、途切れていない。このドクンは太古のドクンが、まっすぐ僕をめがけてやってきたものだ。だから僕はこのドクンを愛している。自分以上に愛している(節がある)。ドクンと共に、紡がれてきた土地や家も愛している。形有れば、いつかは壊れて無くなくなるが、ここに居た事実や、ここで過ごし感じたことは無くならない。この事実は、ずーっと変わらない。だから、いつ地震がきても、いつ原発が爆発をしても、いつ何が起きて無くなってしまってもいい。ずっと変わらないものは、もうここにあるから。
佐渡じゃなくても、日本のどこかへ行こう。
日本じゃなくても、世界のどこかへ行こう。
自分自身が種になって、根を生やそう。
ずっと変わらない過去になろう。
新しい芽は、きっと未来に。
嘉向徹28歳、11月24日生まれのサジタリウス。推薦で受かった大学を入学前に自主退学。以来、数々の職業的なものを転々とし、目下人生勉強中。好きな言葉「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」。心身ともに至って健康。愛車のハンドル握り今日もゆく。