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最近、近所でもスマホに自分を映しレポート中継をしているいわゆるユーチューバー的な人々を見かける機会が増えた。こんな味も素っ気もない地域の何を伝えようとしているのかはわからないが、それはまぁ人それぞれなんで余計なお世話か。今や一億総レポーター時代で、手料理越しの満ち足りた生活を精一杯レポートしている自己充足型から、明らかに炎上目的としか思えない攻撃的な毒言を撒いているブロガーまで多数多様のレポーターが存在する。ニュースサイトなんかももっぱら芸能人の軽い一言の言葉尻を我先に捉えて増幅し記事に仕立てるという素人芸を追従している。つまり素人も玄人もバズり得る火種を常時ネット上に供給するのが最優先の使命になっている。そうやって常に世の中の状態をザワザワグツグツさせておくことが何の役に立つのかはわからないがそれはまた別の話。

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外国の見知らぬ場所を歩いていると、路地を一本入っただけでそれまでと違う空気に身構える状況に陥ることがある。なにが明白に違うわけでもないのだけれど、壁の汚れや匂い、路上のゴミや路地の明るさや歩く人の密度、そんな微妙な変化の集積が注意信号を発していて、歩く速度を早めてしまう。それは海や川で泳いでいる時に、急に冷たい水の流れに囲まれて思わず身をすくめるあの感覚に似ている。同じエリアでも無防備にうろうろできる場所と緊張が必要な場所がある。環境の変化に対して五感を鍛えておかないとそのへんの感覚はどんどん鈍感になってしまう。アメリカから帰ってきたばかりの頃、暗い夜道をOLらしき女性が一人で歩いているのに遭遇する度に勝手にヒヤヒヤドキドキしたことを憶えているが、今ではもうそんなに気にならなくなってしまった。長年かけて鈍化してしまった五感をもう一度鍛え直さなくてはならない。

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STAYがいつの間にかGOになって、ただしアレしちゃだめコレは控えてと、出かける側も受け入れ側もGOして良いのか悪いのかわからない。「出かけるなとは言いません。自己責任でお願いします」と政府は毎度の無責任スタイル。これは「内戦地域に出かけるのは止めないが、銃弾に気をつけて」と言ってるのに等しい。
海外旅行も当分はおあずけ、旅に出かけたい欲求は高まる一方。そんな気分を反映したような曇天霧雨降る中、しょうがないのでチャリで近所のベトナム料理屋へ出かけ焼豚バインミーをテイクアウトしてきた。店員の日本語はおぼつかず、ぼくのベトナム語力は絶望的なので意思疎通に多少苦労はするけど、その代わりボリュームたっぷりワンコインのバインミーを作ってくれる。今年は当分、国内で間に合う海外旅行マップを充実させるしかない。

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テレビの街頭インタビューとかで小学生の小僧が今年の夏休みが短縮されることについて「夏休みが短くなることは悲しいけどコロナ禍なので自粛しなくてはならない」などと大人が喜びそうな忖度コメントをドヤ顔で答えているのを観ると坊主頭を叩いてやりたくなる。ツイッター経由でニュース画面の上とか下に流れる視聴者の合いの手コメントも同様にうんざりする。予定調和の空気を読んだ当たり障りのない無意味な言葉の数々。そんなクズコメントをしたり顔でしてないで「大人の都合でコッチにばっか寄せやがって、ガキだと思ってなめんなよ!」ぐらい生放送でかましてほしい。

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深夜NHK BSでラグビーワールドカップの総集編の再放送をやっていた。去年の秋の出来事でまだ一年も過ぎていないのにすでに遠い昔の出来事のようだ。ワールドカップの盛り上がりを着火点にそのままトップリーグがスタートし連日大入り満員の中、コロナ自粛で早々にトップリーグ中止が決まり強制鎮火してしまった。あまりにも報われないじゃないか。ワールドカップ開催中は皆一致団結していたじゃないか。人見知りのぼくですら知らない他人とハイタッチをしていた。あれは幻だったのか?
今日の東京の新規感染者数は293人。意味不明の「GO TOキャンペーン」も東京の発着が除外された。東京=エピセンターという認識で、必死に歌舞伎町で括っていたものが括りきれずに東京全体がバイキン扱いされてきた。東京と地方、老人と若者、上流と下流、右と左、黒と白、東と西、国と私、これからありとあらゆる二律の分断がそこかしこで始まる。少し前までしきりに言っていた「つながり」や「絆」が「ディスタンス」をとらざるを得ない状況に追いやられる。常に違いをぼかし、近似点にのみ焦点をあててきたこの国は、明白な違いの中で生まれる個々の役割という意識が悲劇的に希薄だ。ネットの時代に身近になった世界は同時に対立も深まるという皮肉。

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雨の土曜日。とある年鑑を編集中の方から序文を英文に翻訳してほしいとの連絡があり、その序文を書いた方もその年鑑をまとめているデザイナーもよく知っているので快く引き受けた。製品マニュアルのような味も素っ気もない翻訳は受け付けないが、こういったクリエイティブまわりの翻訳はたまに受ける。序文を書いたのは僕と同い年の誰もが知るグラフィックデザイナー。普段とても寡黙な人なので文章を読むことで彼が何を考えているのかを知れるのはうれしい。
翻訳は文章を理解してできる限りそのままの意図が伝わるように言語を変換する。意味が通じれば事足りるように思われることもあるが、実際は原文の作者の人格から知的レベル、それを誰に向けて書いているかまでを理解して翻訳しなくてはならない。例え意味が通じたとしても、就職面接で「オマエの会社がもっと儲けたいのならオレを高給で雇ったほがいいゾ」とは言わないはずだ。言ってもいいがその面接に受かることはないだろう。その場と相手に合った語彙と話法というものがある。例えば「gonna」「wanna」「gotta」といった口語の省略形は意味は通じかもしれないが文章では決して書かない。
今はGoogleの自動翻訳という打ち出の小槌があるので、外国語のメールなども7割方は理解できる。その逆に日本語で書いた文章も6~7割方の精度で外国語に変換できる。しかし、それはあくまで意味が通じるといったレベル。「親愛なる担当者様、オマエのメールはたしかに受け取った、話に乗ってもいいから詳しく説明しろ」とか涼しい顔で返信してるかもしれない。

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根がせっかちな性格なので行列というものに並ぶことは滅多にない。神保町の『キッチン南海』が先月末に閉店と聞いて最後のカツカレーと思い出かけたがあまりの行列の長さに断念して帰ってきた。バーゲンセールの行列にも並ばないし、行列必至の東京ディズニーランドにも行ったことがない。その反面、いろいろな用事がタイムロスなくこなされていくことに異様に快感を感じてしまう。
今日は夕飯を買いに出かけてまず回転寿司で持ち帰り用に寿司を注文して、30分ばかりかかるというので、本屋を覗いてフライドチキンも食べたくなって隣の『ウェンディーズ』でフライドチキンをテイクアウト注文、揚げるのに8分かかると言われ、『kindle』で読みかけ本を読みながら出来上がりを待つ。出来上がったフライドチキンを受け取り、回転寿司屋に戻り出来上がった寿司を受け取り帰宅。その間一切のタイムロスなし。帰り道の信号待ちもなくすべてグリーンライト。こんな日は滅多にない。
世の中まともな段取りが立たず相変わらず出たとこ勝負、破れかぶれの成り行き任せで呆れて物が言えない日々が続いているので、こんな些細な出来事にこの上ない快感を感じてしまう。ちなみに寿司とフライドチキンが合うのを知ったのは小樽の『なると』。ここは寿司屋なのにとりの半身揚げが有名で握りと半身揚げのセットで頼むのが地元通の定番。KFCも恐れをなして進出できないほどの小樽のソウルフードなのだ。

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