NY駐在員報告 「HPCC計画(その2)」 1994年8月
先月号の前文に書いたように、HPCC計画の実態は、単に超高速の科学技術用計算機とそれを利用するためのコンピュー タネットワーク技術の研究開発ではない。バーチャルリアリティ、3Dイメージング、自然言語処理、超LSIの設計の訓練、インターネット上のハイパーメ ディアツールとして有名なMOSAICの開発、カオス理論の研究のような応用数理研究、電子図書館のモデルつくり、ヘルスケアのためのモデルネットワーク つくり、商業上のあらゆる情報交換の電子化を対象とする次世代EDI(電子データ交換)の開発など、思いもよらないテーマが含まれている。
先月に引続き、最近NII (National Information Infrastructure)構想の影に隠れて、すっかり影の薄くなったHPCC (High Performance Computing and Communications)計画の状況について報告することにしよう。
予算
何はともあれ、95年度の予算要求額をみてみよう。 HPCC計画のスタートは正式には1992年度からになるのだろうが、前にも述べたように、この予算には既存の予算の 看板の掛け替えが含まれているため、92年のブルーブックをみると、このHPCC計画に相当する91年度の予算が掲載されている。ちなみに91年度のこの 計画に相当する予算の総額は489.4百万ドルである。したがって、各年度の予算伸び率は、92年度が33.8%、93年度が11.1%、94年度が 28.6%、95年度が23.4%となる。年平均23.9%で伸びているという計算になる。金額の大きさもさることながら、予算の伸び率も大変なものであ る。
次に95年度分を各サブテーマ毎に分類してみよう。
一番大きな割合を占めているのはASTAであり(全体の約34%)、これは計画がスタートしたときから変わっていな い。注目すべきは二番目に大きなシェアを占めているIITAである。このテーマは、すでに述べたように94年度から、HPCC計画がNIIの技術的基盤を 提供するものであると位置付けられたことに伴い、新設されたものであるが、全体の約24%の予算が割り当てられている。これに伴い、商務省管轄下の NIST(National Institute of Standards and Technology)の予算が急増していることに気がつく。
なお、この計画の中心をなすと見られがちなHPCS(高性能計算システム)に割り当てられた予算の割合は約16%で、 予算規模は計画がスタートした92年度からほとんど変わっていない(つまり、全体に占める割合は年々減少している)。
では次に、いくつか面白そうな研究テーマを選んで研究開発の現状と今後の計画をみてみよう。
スケーラブル・コンピューティング・システム(ARPA)
このテーマはARPA(Advanced Research Project Agency)がNSF、DOE等の他の政府機関の協力を得て実施している。この研究の対象は、机の上に載るようなワークステーションはもちろん、スケー ラブルを可能とするコンポーネント、差込み可能なシステム(ボードのようなイメージ?)から複雑な大型のシステムまでを含むあらゆる大きさのシステムであ る。スケーラブルという名前が示すとおり、コンポーネントを増やしたり減らしたりして計算能力を変えられるシステムが対象となる。つまり、正確に言えばス ケーラブルな(超)並列コンピュータのアーキテクチャの研究と実験がテーマである。
この「スケーラブル」(大きさが変えられる、あるいは計算能力を必要に応じて変えられるという意味らしい)という言葉 が HPCS(High Performance Computing System)のキーワードの一つになっている。
すでに、93年度までにいくつかの100ギガops(operations per second)クラスのシステムのテストが、コンピュータメーカの協力を得て行われている。たとえば、クレイ・リサーチ社のT3D、インテル社の Paragon、シンキング・マシーン社のCM-5 、ケンドール・リサーチ・スクエア社のKSR-1、IBM社のSP-1, SP-2などである。アーキテクチャの研究もデータパラレル、データフロー等の様々なモデルで、テラopsを達成する過程として100ギガopsクラスの システムの実証実験が終了している。
94年度には100MHzで稼働する最初のHPCシステムのノード(並列計算機における一つの計算ユニット)の完成、 商用の並列計算機と研究中のシステムとのソフトウェア及びハードウェアの互換性テスト、ギガビットネットワークのインタフェースとスケーラブルな大容量記 憶装置をもったプロトタイプシステムの実験などが予定されている。また、テラビットの情報を扱えるペタops(つまり1秒間に1015の計算が可能な計算 機)に向けた基礎研究もスタートしている。
95年度には、ほとんどのクラスに利用可能なテラ opsクラスのモジュールの実証実験を行うとともに、1立方フィート当たり100ギガopsの能力をもつコンポーネントが構成できるようなモジュールと パッケージング技術を開発する予定になっている。
このスケーラブル・コンピューティング・システム の予算は、94年度(見込)で5150万ドル、95年度要求額は6020万ドルである。
スケーラブル・ソフトウェア(ARPA)
このテーマは、スケーラブル・コンピューティング・システムに対応したソフトウェアの研究を対象としたもので、システ ム・ソフトウェア(HPCシステムのためのオペレーティングシステム)、スケーラブル・イメージ・プロセッシング・システム(高度な画像処理を行うための ソフトウェア)、コンピュータ言語と環境、ライブラリ(コンピュータを利用する際に用いられる共用のソフトウェア部品のようなものを集めたもの)の4つの サブテーマが含まれている。
93年までに超並列計算機用のスケーラブル・マイクロカーネルOSのプロトタイプの実証テストが終了している。94年 には、計算物理学や画像処理等のためのライブラリのテスト、広域に分散したファイルを扱えるプロトタイプのアプリケーションや分散型HPCソフトウェアの 開発、スケーラブルHPCシステム用の分散型ADA(コンピュータ言語の一種)の実証テスト、HPCシステム用のC++やフォートランのような標準的な言 語のプロトタイプ開発などが終了する予定になっている。そして、95年にはOS、画像処理のためのソフトウェア、様々な言語、ライブラリのプロトタイプが 一応揃う予定である。
このスケーラブル・ソフトウェアの予算は、94年度(見込)で3230万ドル、95年度要求額は2960万ドルであ る。
NSFNET(NSF)
この"NSFNET"というプログラムの目的は、全米の研究・教育機関にコンピュータネットワークを提供することにあ り、一般にNSFNETと呼ばれるネットワークは世界中に広がるインターネット(Internet)の一部を成している。すでに全米の1100以上の大 学、1000以上のハイスクールなどが、このプログラムの支援を受けてインターネットに接続をしている。
名前のとおり、このプログラムはNSFが実施しているもので、HPCC計画がスタートする前から存在している。85年 から86年にかけて5つのスーパーコンピュータセンターが設置されたが(これもNSFのプログラム)、これらのスーパーコンピュータセンターとユーザであ る国立研究所、大学を結ぶために構築された大規模なコンピュータネットワークがNSFNETである。
当初の通信速度は56Kbpsであったが、87年から88年にかけてT1(1.5Mbps)にグレードアップされ、さ らに91年から92年にはT3(45Mbps)に強化された。
しかし、このコンピュータネットワークは当初からいくつかの問題を抱えていた。まず第1に、名目上はNSFが設置した スーパーコンピュータセンターとユーザを結ぶネットワークでありながら、実際の利用は電子メールや学術論文、プログラムのファイル転送といった利用が大半 を占めていたことである。この点については当初から関係者は十分予想していたというものの、名目との乖離は否めない。
第2の問題点はネットワークの運営方法の問題である。NSFはこのネットワークの運用をMerit社という非営利の会 社に委託したのだが、Merit社は(もちろんNSFの了解を得て)この運用をさらにANS社(Advanced Network and Services)に再委託した。このANS社は90年9月にこの目的のために、Merit社、IBM社、MCI社によって設立された会社である。問題は このANS社が子会社としてANS CO+RE社を設立して商用インターネットサービスを開始し、そのバックボーンネットワークとしてNSFNETと同じネットワーク、つまりANS社が保有 するネットワークを用いたことにある。米国では80年代末から商用インターネットのサービスが始まっており、91年にはANS CO+RE社の他に、少なくとも2社が全米をカバーするサービスを提供していた。こうしてANS CO+RE社(およびNSF)は、他の商用ネットワーク事業者から(政府の補助金を受けて商用インターネットを運営しているようなものであるから)不公正 であるとの非難を浴びることになったのである。
こうした事情もあって、NSFは92年の秋に期限が切れるMerit社との契約を暫定的に延長するとともに、新しい運 用形態を目指して公募(solicitation)を行った。NSFは新しい契約を次のような要素に分けて考えている。
(1) NAPs(Network Access Points) 種々のネットワークが接続されるポイント
(2) RA(Routing Arbiter) ネットワークを流れる情報のルーティングに必要な情報の管理
(3) vBNS(very high speed Backbone Network Service) NSF がサポートする HPC(High Performance Computing)センターの利用者のための超高速のバックボーンネットワーク
(4) Regional Network 地域ネットワーク(中間層ネットワークとも呼ばれる)
(5) NSPs (Network Service Providers) 通常のインターネットサービスを行う事業者
NSFはこの中で(1)〜(4)について助成を行い、HPC センターのユーザでないインターネット利用者が利用するネットワーク(5)については民間の事業者に任せるという決断をした。つまり、教育・研究目的の利 用者であってもHPC センターを利用するのでなければ、NSFが提供するバックボーンネットワークは利用できないことになる。
本来、従来のNSFNETのバックボーンネットワークのサポートは94年4月で打ち切られるはずであったが、HPCC 計画の95年度実行計画によると、新体制への移行は95年度となっており、NSFとMerit社との契約はさらに延長されているようだ。95年の計画に は、「ANS社への再委託に関するMerit社の監査を監督し、古いNSFNETの仕組みのためのMerit社との協力契約をクローズする」と書かれてい る。ちなみに、新しいvBNSはMCI社によって、155Mbps以上で運用されることになっている。
また、このプログラムの中には、英国と協力して進められている「グローバル・スクールハウス・プロジェクト」(米国の 3つの州と英国の小学校をインターネットにつないで、電子メールと簡単なテレビ会議システムを提供するもの)やインターネットの国際接続に対する助成、 ネットワークのプロトコルやルーティング、セキュリティ、ネットワーク管理に関する技術開発への助成も含まれている。
この"NSFNET"プログラムの予算は、94年度(見込)で4116万ドル、95年度要求額は4616万ドルであ る。
基礎(Foundations)(ARPA)
この「基礎(Foundations)」と名付けられたプログラムには、いろいろな研究や活動が詰め込まれている。研究では、高性能計算システムとネットワークを用いたバーチャル・リアリティの研究やリアル・タイム3Dイメージングの研究、マルチメディア・コンピュー ティングの研究などである。これらの研究は比較的規模は小さいものが多い。
このプログラムの中で注目すべき活動は、コミュニティ・アウトリーチ・プログラム(community outreach program)である。このプログラムの目標は、HPCC分野における研究、教育、訓練に必要な(制度面を含む)インフラを整備することにある。すでに 州政府等によって整備された奨学金制度や人材育成プログラムがあるが、とくにHPCC技術に関する分野のこうした取組みを拡大することに重点が置かれてお り、これまでに幼稚園からハイスクール(K-12)における情報技術教育と訓練を改善する取組みがなされている。この対象は生徒、学生だけではなく、教師 もその対象である。このプログラムの計画書によれば、真の目的は、子供たちの教育方法を改善することではなく、学習は生涯にわたって続けるべきものである ことを自覚することにある。そして、この目的達成のためにはマルチメディア技術を用いた教材、そのオーサリングツール、バーチャル・ラボといった先端的で 強力な教育ツールが必要だという説明になっている(この辺りはきっと政府機関に勤めている人の作文ですね)。最初に挙げた研究の例も、こうした目的に沿っ たものと言える。
ともあれこうした目的達成のため、既にネットワークを用いた教育・訓練プログラムがいくつか動いているし、94年に は、ヘルスケア、電子図書館、製造、教育、訓練といった分野の情報集約的なHPCCアプリケーションの開発をサポートするプログラムを開始し、インター ネットを用いた東海岸と西海岸を結んだビデオ・ワークショップの実験を行うほか、いくつかのローカルなパイロットプロジェクトを立ち上げることになってい る。
また、このプログラムには博士過程を終了した学生に対する助成(postdoctoral fellowship awards)や学部を卒業した学生に対する助成のほか、HBCUs(Historically Black Colleges and Universities)への奨学金制度(93年度の実績では全米に100以上あるHBCUsの中から4つの大学に奨学金が与えられている)が含まれて いる。
この「基礎」研究のための予算は、94年度(見込)で1220万ドル、95年度要求額は1400万ドルである。
情報科学(ARPA)
このテーマの対象は、一般的なソフトウェア工学の研究、人工知能、マン・マシン・インターフェース、HPC 科学といったものである。
人工知能の研究は、知識の表現と意味付けの手法、言語(会話及び文章)の理解のための学習手法、資源配分 (resource allocation)、計画立案、スケジューリングの手法の高度化に重点が置かれている。93年までに情報の可視化と会話理解のテストが行われている。
マン・マシン・インターフェースの研究では、より自然な形でコンピュータを操作できるような技術やデザイン手法に焦点 が当てられている。人工知能の研究によってコンピュータが会話を理解するようになれば、コンピュータに通常の話言葉で指示を与えることができるようになる (ちょうど「2001年宇宙の旅」のHAL9000のように)。94年には会話型のインターフェースのコンセプト・デザインが行われ、95年には最初の ツール・キットが開発されることになっている。
この他、このテーマでは計算機の能力を計るためのベンチマーク問題や計算手法に関する研究も行われている。
この「情報科学」研究のための予算は、94年度(見込)で2140万ドル、95年度要求額は2100万ドルである。
スーパーコンピュータセンター(NSF)
NSFがサポートしている4つのスーパーコンピュータセンターのための予算である。現在運営されているセンターは次の とおり。
(1) Pittsburgh Supercomputer Center
(2) Cornell Theory Center
(3) National Center for Super-computing Applications
(4) San Diego Supercomputer Center
これらのセンターは全米49の州の8000人以上のユーザに高速回線を通じて計算サービスを提供すると同時に、さまざ まな高性能計算システムを利用するためのソフトウェア、ツールの提供、「グランド・チャレンジ」と名付けられた課題を計算するためのアプリケーション開発 のサポート、あらゆるレベルの教育、訓練などのサービスを提供している。
また、このセンターは民間セクターとの協力の拠点となっていることも忘れてはならない。ここを舞台にして設計、製造と いった分野への高性能計算技術の移転が図られている。現在、88の企業等と協力関係をもっている。この中にはネットワークの研究も含まれている。ネット ワークの管理・運営のためのツール開発等を含む次世代ネットワークの研究である。
この4つのスーパーコンピュータセンターの目標は、全米の研究者や学生にスーパーコンピュータを利用できる環境を提供 すること、メーカーと協力してHPCC分野の研究を行うこと、HPCシステムを利用するための有用なソフトウェア、ツールを開発すること、計算科学のアプ リケーション開発で先導的役割を果たすこと(これは、「グランド・チャレンジ」と呼ばれる課題のことである)、HPCシステムを利用するための教育・訓練 をあらゆるレベルに提供することなどである。
93年までにPittsburgh Supercomputer Centerにはクレイ社の最初のC90、最初のT3D(クレイ社のパラレル・コンピュータ)が設置されており、Cornell Theory Centerには、IBM社のスケーラブル・コンピュータ、SP-1が設置された。
また、National Center for Super-computing Applicationsでは、インターネット上のマルチメディア情報検索ツールとして有名になった"Mosaic"を公開しており、93年の5月以来、 10万以上のコピーが行われたという(このMosaicもHPCC計画の成果の一つである。このMosaic の開発および普及費用は、NSF のIITAプログラムの中に含まれている)。
このスーパーコンピュータセンターのための予算は、94年度(見込)で6776万ドル、95年度要求額は7643万ド ルである。
研究基盤(Research Infrastructure)(NSF)
この「研究基盤」と名付けられたプログラムは、計算機(コンピュータ)科学、計算科学、情報科学、コンピュータ工学の 分野における研究活動をサポートすることが目的である。おそらくこの予算はこの分野の研究者にとって非常にありがたい予算になっているのではないかと思わ れる。というのは、予算はワークステーション、ネットワーク、その他主要な実験装置の購入費用、メンテナンス費用、オペレーション費用等に当てられている からである。もちろん、それらの機器を利用するために必要なテクニカル・サポート・スタッフを雇う費用にも用いることが可能である。対象は、ワークステー ションが欲しいと思っている一人の研究者から組織を超えた研究グループまで極めて広い。
例えば、93年度にはワークステーションなどの購入のために350万ドルが、ユタ大学やUCバークレイ等にある主要な 27の研究設備のサポートに380万ドルが、スケーラブル並列計算の研究に必要な研究設備整備のために9つのグループに対して合計1085万ドルが割り当てられている。
94年度以降にはバーチャル・マニュファクチャリングの研究や電子図書館の研究、分散型マルチメディアシステムの研 究、スケーラブル並列システムの入出力に関する研究等に必要な基盤整備を行うことになっている。
この「研究基盤」のための予算は、94年度(見込)で1905万ドル、95年度要求額は2095万ドルである。
(以下、次号へ続く)
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