EC商品としての「本」の価値 (『大学出版』2002.3 No. 52、2000年3月)
米国の消費者向け電子商取引の現状
2000年3月に5000ポイントを超えたナスダック総合株価指数は、その約1年後の2001年4月初めに1600ポイント台にまで下落した。いわゆるネットバブルの崩壊である。ドットコム企業の株価は暴落し、いくつもの上場企業が破産し、それ以上の数のネット系ベンチャーが新規株式公開の夢を実現できないまま姿を消した。また、インターネット上でそれなりのブランドを構築した企業のなかには、資金が枯渇する直前に、既存の企業に買収されたものもある。
米国の調査会社、ウェブマージャーズ(Webmergers)が毎月発表している統計によると、ドットコム企業の倒産や閉鎖はナスダック指数の下落が始まった直後の2000年5月に13件、6月に17件と増えていき、2000年11月から2001年6月まで毎月50~60件という高い水準で推移した。この数字は、2001年末には20件程度まで下がっており、ドットコム企業倒産のピークは過ぎたようにみえる。2000年1月以降に閉鎖・倒産したドットコム企業を業種別にみると、最も大きな割合を占めるのが電子商取引系の企業で、43%を占める。
これは、米国の消費者向け電子商取引(B to C)市場が伸び悩んでいることを意味するのだろうか。
商務省センサス局が発表している小売業のオンライン販売統計によれば、調査が開始された1999年第4四半期のオンライン小売市場規模は52.7億ドルであったが、2000年第4四半期には89億ドルまで拡大し、その後、2001年の第1~3四半期は76億ドル、75億ドル、75億ドルと推移している(注=厳密にいえば「オンライン小売市場」は「B to C市場」と同一ではない)。この数字は季節調整前の数字であり、この数字をもってオンライン小売市場が2001年に入って縮小していると結論することはできないが、前年同期と比較すると、その増加率は、2000年第4四半期の69%から、2001年第1四半期は37%、第2四半期は25%、第3四半期は8%と減少しており、米国の小売業における電子商取引市場の拡大スピードが落ちているのは間違いない。
しかし、民間調査機関のコムスコア・ネットワークス(comScore Networks)によるB to C市場に関する調査をみると、9月11日に発生した同時多発テロ事件の影響を受けて9月中旬から10月にかけて売上は事件以前の水準を下回ったが、その後順調に回復している。また、2001年12月19日にIDCが発表した調査結果によれば、2001年のホリディシーズンのB to C市場規模は、前年比49%増の260億ドルに達している。
調査会社によってB to C市場の定義が微妙に異なるので他の市場推計値と比較はできないのだが、eマーケッター(eMarketer)は、2001年7月に北米のB to C市場は2004年には1979億ドルに達するという予測を発表している。
書籍市場とアマゾン・コム
この拡大するB to C市場のなかで比較的早くから注目されていた分野の一つが書籍市場である。特に、1995年7月にビジネスを開始したアマゾン・コムは、100万種類を超える書籍を取り扱っていることでマスメディアの注目を浴び、その売上高は、1996年の1570万ドルから、2000年にはその170倍以上の約28億ドルにまで急増している。ただし、現在アマゾン・コムが取り扱っている商品は、書籍だけではなく、音楽CD、ビデオから玩具、自動車、旅行サービスにまで拡大しており、ネット上での書籍の売上が28億ドルになっているわけではない。2000年の決算報告書によれば、米国内の書籍・音楽CD・ビデオ部門の売上は約17億ドルである。
書籍は、比較的ネット販売に適した商品であるといわれてはいるものの、書籍市場全体に占めるネット上の市場の割合はまだそれほど大きくない。たとえば、2001年4月16日付けのウェブ版のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された“Sales Growth in Books Online Is Leveling Off”という記事によれば、ネット上での書籍の売上は、市場全体の約7%程度で頭打ち状態になっているという。また、この記事中で、アマゾン・コムの創業者で会長のジェフ・ベゾス氏は「いつかオンラインでの書籍販売額は、書籍市場の15%に達するだろう」と語り、全米第2位の書店チェーンであるボーダーズ・グループのCEOは「オンライン書籍販売市場は、書籍市場の10%でその成長が止まるだろう」と述べている。
アマゾン・コムの売上高が爆発的に拡大していた1990年代の後半には、書籍市場の大半がネット上に移行し、街角の書店のほとんどがなくなってしまうのではないかと思われたのだが、どうやらそうではないらしい。
なぜオンライン書店で本を買うのか
日本における書籍のネット販売が書籍市場全体に占める割合は、米国よりはるかに小さいだろう。寡聞にして、そのような統計や推計値は知らないが、多めにみても1~2%程度だと思う。ただ、私の知人は古くからのインターネット利用者が多いこともあり、ネットで書籍を購入している人がかなりいる。たとえば、近所に書店がなく、本を買うためにバスや電車などの交通機関を利用せざるをえないところに住んでいる知人は、オンライン書店の常連である。
無論、オンライン書店を利用する理由は人それぞれ異なるが、すぐに思いつく理由を整理すると次のようになる。
(1)書店に行く時間や費用を節約できる
前述の知人のように近所に書店がない人にとっては、書店に行くまでの時間と費用を省くことができる。
(2)本を探す時間を節約できる
ベストセラーの本ならすぐにみつけることができるが、そうでない本を(特に大型書店で)探すのは案外時間がかかる(場合によっては、書店になくて取り寄せになることもある)。したがって、買いたい本が決まっていれば、ネットで購入した方が時間の節約になる。
(3)書店でも取り寄せになるような本はネット上で購入した方が便利
書店に在庫がない本は取り寄せを依頼することになるが、この場合、本を受け取るために再度書店まで足を運ばなければならない。それならば、最初からネットで購入した方が便利である。
(4)持って帰らなくてよい
特に分厚い本を買うときやまとめて何冊か購入する場合、ネット上で購入すれば、重い荷物を持って歩かなくて済む。
(5)現実の書店では購入しづらい本を買うことができる
たとえば、顔見知りの店員のいる書店では購入をためらうような本であっても、ネット上でなら平気で購入することができる。
また、米国の場合には、再販制度がないためにネット上の方が価格が安いというメリットもある。
日本のB to C市場が米国に比べて未発達である最大の理由は、電話の従量制料金にあると考えられるが、日本でも通信料金を気にせずにインターネットが利用できる常時・定額接続が急速に普及しつつあるので、間違いなくインターネットで買い物をする消費者は増加し、書籍のネット販売額も増えていくだろう。ちなみに、米国ではオンライン書店の登場によって、書籍市場が拡大したと言われている。5年連続で市場が縮小している日本の出版界にとって、書籍のオンライン販売は救世主となるのかもしれない。
オンライン書店と学術専門書
オンライン書店をよく利用している人は、現実の書店で本を買わないわけではない。少なくとも私は現実の書店でも本をよく購入する。たとえば、すぐに読みたい本の場合は現実の書店で購入することが多い。オンライン書店で購入しても、在庫さえあれば翌日か翌々日には届くのだが、それが待ちきれない場合がある。また、特定の書籍を探しているわけではないが、ぶらりと書店に入って目に留まった本をぱらぱらとめくり、気に入った本を購入することもある。
現実の書店で購入して失敗したと思う本は皆無だが、ネット上で購入して本が届いた後で購入しなければよかったと後悔した本が何冊かある。想像していた内容と異なっていたり、期待をしていた水準の本ではなかったからである。それは購入時点で本の内容やレベルを確認できなかったことに原因がある。そして、購入して後悔した本の多くは比較的高価な学術専門書の類なのである。
学術専門書は「なぜオンライン書店で本を買うのか」で挙げた(2)~(4)の理由に該当する本が多い。大型書店で探すのに苦労するし、みつからない場合も多々ある。分厚くて重い専門書も少なくない。にもかかわらず、私が最近ネット上であまり学術専門書を購入しない原因は、ここにある。
現実の書店の場合、本を手にとって内容を確かめることができるが、オンライン書店の場合にはそうはいかない。オンライン書店の多くは本のレビューを掲載しているから、それを読めばおおよそのことはわかるのではないかと反論されそうだが、学術専門書の場合、十分なレビューが掲載されている書籍はきわめて少ない。せめて本の目次と数ページ分のサンプルを画面で確認できればよいのだが、そんなサービスをしているオンライン書店は日本にはまだない(オンライン販売をしている出版社のなかには、目次や本の内容を詳細に紹介しているところもあるのだが、いわゆるオンライン書店にはない)。
米国のアマゾン・コムは、2001年12月から「ルック・インサイド」というサービスを始めている。すべての書籍ではないのだが、「ルック・インサイド」マークのついた本は、本の内容を数ページから多いもので数十ページにわたって確認できるのである。これで、オンライン書店でも、ちょっと気になる本をパラパラとめくってみて、購入に値するかどうかを判断できる。もちろん、こうしたデータを整備するにはコストがかかる。しかし、オンラインで本の内容を(一部とはいえ)確認できることによって、売上も伸びるに違いない。日本のオンライン書店も学術専門書の出版社と協力して、ネット上で本の内容を確認できるサービスを始めてくれると嬉しいのだが……。
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