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映画を早送りで観る人と『ルックバック』

その夜に、『映画を早送りで観る人たち』を一気読みした。新書で一気読みしたのは、初めての経験だ。それくらい、自分の心を揺さぶった。


この本は、映画やドラマを倍速で見たり物語の概要を読んだりと、コスパよく「コンテンツを消費している」人が、なぜその習慣が身についたのかを解き明かしたものだ。ずっと自分が感じていた違和感が全部そこにあって、それを言語化してくれた。毎回書いてあることに「わかる、わかる」と思わずうなずいてしまった。

最初読んだときに、映画の倍速に関して「なんでそんなことすんの?」と完全に否定派の立場だった。しかし、読んでみると「俺も無意識にやってたわ..」と自分の今までの行為が肯定派の行為だったのだ。たとえば、小説を要約したものを動画やサイトで理解し、全体像を把握していた。そうすることで、自分が読みたいかどうかを判断していたし、物語も理解しやすいと思ったからだ。そうして、肯定派の主張も理解できた。つまり、彼らは自分たちの人間関係を円滑にするために話題をたくさんもっていないといけない。だから、コンテンツを大量消費する必要があるのだ。

技術革命で車やスマホ、AIなどで自分たちの生活が便利になって時間が作りやすくるはずだ。けど、現代人は時間がないと常に感じて、こんな娯楽まで効率化させることになってしまった。本当に、皮肉な話だ。幸い自分は、そんな人間関係を続けることはできないので、そこまでひどくはなかった。
また、最近だと「分かりやすい」作品が人気になる傾向がある。なんでもセリフで全部説明することが多くなったのだ。言葉による直接的な表現がない物語は、自分で解釈する必要がある。だが、セリフで全部説明してほしいタイプの観客は、それを不親切だと言って考えないのだ。

最近だと、『ルックバック』という映画がその「分かりやすい」傾向から逆行している。この映画のあらすじは、

学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。 漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…

公式サイト劇場サイト「ルックバック」

この映画は、かなり無言のシーンが多くある。しかし、そのシーンは言葉以外で表現する。たとえば、ひたすら描いているシーンはひたすら後ろ姿を映していく。そして、スケッチブックが積み重なりマンガの描き方の本も増えていくことで、時間が経ちずっと努力していたことを表現したのだ。
物語の終盤、主人公は「どうして描きつづけるのか」という問題にぶち当たる。そこで、原作を描いた藤木タツキなりの答えを出している。ぜひ読み取ってほしい。

話はそれたが、このような「分かりやすい」傾向から脱去するために一つ提案がある。

それは、友達と一緒に観に行きその後カフェでゆっくりその映画の感想を語り合うことだ。そうすることで、対話を通して新たな解釈が生まれより映画を深めることができる。
確かに動画やサイトでも解釈は増えるが、見る側にとってその解釈が正解だと考えてしまう恐れがある。友達ならば、自分の意見を素直に言えるし友達の解釈と分けることができる。

まぁ要するに言いたいことは

『ルックバック』は面白いから、絶対見ろ!!!




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