魔法の左足
Jリーグに所属するクラブにはそれぞれ下部組織が存在する。
ユース、ジュニアユース、U18、U15。名称は様々だが、中学生高校生年代の子供たちを育成し、将来的にクラブチームの選手へと育てていく大事な仕組みであり、ユースに所属している選手、所属していた選手はたとえそのチームでプロにならなかったとしても思い入れのある選手としてサポーターの胸に刻まれる。
FC東京の下部組織
FC東京も例外なく下部組織を所有し、FC東京U18、FC東京U15むさし、FC東京U15深川とそれぞれ存在し、小学生年代ではサッカースクールも運営している。
FC東京の下部組織出身選手というと多くのJリーグで活躍している選手、また日本代表にも選出されている選手も多く輩出している。
代表格でいうとアジアカップの決勝でのゴールが印象的な李忠成、北京オリンピック代表10番梶山洋平、ロンドンオリンピック正GKで現在はポルトガルで活躍している権田修一、プレミアリーグでプレーしている武藤嘉紀、日本代表常連となった橋本拳人、J3にて得点王を獲得した原大智、そして現在はスペインで活躍している久保建英。
一部抜粋しただけでもこれだけのメンバーであり、ここで上げたメンバー以外にも日本代表やJリーグで活躍して名を挙げている選手は数多くいる。
しかし、誰もがデビュー初年度から目覚ましい活躍を見せていたわけではない。高校卒業初年度からとなると尚更レベルの違いに壁にぶつかることも少なくない。スペインで活躍している久保建英でさえトップチーム登録された初年度には目立つ活躍を見せることはあまりなかった。
小さな魔法使い
そんななか、高校卒業1年目にしてFC東京のサポーターを持ち前の左足で虜にした選手がいた。
その選手の名前は大竹洋平。
FC東京のU15深川、U18を経て2008年にFC東京のトップチームに昇格した166cmと小柄なレフティーである。
大竹は2008年城福体制1年目のJリーグ開幕戦ホームでのヴィッセル神戸戦で途中出場でJ1デビューを果たす。
そして魔法は同年4月の多摩川クラシコでかけられた
2-2の後半途中から試合に出場すると、日本代表守護神の川島永嗣を嘲笑うかのような上空をゆったり通過していくループシュートでFC東京のリードとなるJリーグ初ゴールを奪うとその後今野泰幸に見事なスルーパスを通し、FC東京4点目をアシストし、FC東京の勝利を手繰り寄せた。
この年大竹はFKでの得点含めて4ゴールを記録し、チーム3位タイの得点数だった。
当時日本代表ではセルティックに所属していた中村俊輔が攻撃の起点となり、その左足で人々を魅了していた。
その中村俊輔のプレーを研究し、フォームまでそっくりな大竹洋平に我々は否応にも期待が膨らみ、大竹のチャントにはアルゼンチンの英雄で同じく左足を使って数々のタイトルを獲得した神の子マラドーナと同じWE ARE THE CHAMPが使われた。
デビュー翌年には背番号を30番から19番に変更した。
この変更はバルセロナで一つの時代を築き始めていたリオネル・メッシを意識しての変更だったともいわれている。
しかし、活躍した選手のマークはだんだんと厳しくなる。
翌年以降厳しいマークや怪我によりデビューした年以上の活躍というのはなかなかできず、FC東京から移籍してしまった。
その後レンタルでのセレッソ大阪を含めて、湘南ベルマーレ、ファジアーノ岡山を経て現在はV・ファーレン長崎でプレーをしている。
きっと彼が所属したそれぞれのチームでその左足に魅了されている人がいるに違いない。
左足の魔法
彼がデビューして以降もFC東京から数多くの才能が世の中に羽ばたいていった。
彼以上に魅了されたユース出身選手は居なかったかもしれない。
それくらい2008年当時の大竹洋平の衝撃はとてつもなかった。
彼がどのチームでプレーしていようと私はずっと大竹洋平を応援しているし、私はまだ彼にかけられた魔法は解けていない。
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