第31講槇原敬之「もう恋なんてしない」考察〜「君」を通して成長する主人公を追いかける〜
本当に練りこまれた言葉は、直接感情が書かれていなくても、そこに置かれたことばから、場面や心情が伝わります。
冒頭に引用した一筆啓上賞の文面からは、おばあちゃんに対する感謝以上に、「亡くなってしまったことへの悲しみ」が溢れています。
こんな風に言葉を追うことで自然と感情が伝わるような歌詞を見ると、本当に凄いなあと感じます。
今回の槇原敬之さんの『もう恋なんてしない』は、まさに直接気持ちを言うことなしに気持ちを伝える典型例。
一文字ずつ歌詞を追いながら、じっくりと登場人物たちを分析してみたいと思います。
Aメロで投げられた設定を紐解く
〈君がいないと何にもできないわけじゃないと ヤカンに火をかけたけど紅茶のありかがわからない〉
この歌は全文通して凄いと思っているのですが、特にこの出だしは圧巻です。
「君がいなくたっていろいろできる」と主人公は強がって言いますが、さっそく上手く行かないことがあって困ってしまう。
そんな主人公の様子を描いた場面なのですが、ここを細かく見ていくと、本当に様々な情報が詰まっています。
まず、
まず主人公は「君がいなくたって大丈夫なんだ」と強がってヤカンに火をかけます。
この段階では実際に上手くいくように見える。
しかしその直後に「紅茶のありかがわからない」という想定外のところで問題が発覚してしまう。
一旦上手く行きそうに見えて、実は主人公が予想もしないところに問題が潜んでいたという描写をいれることで、主人公にとって「君」がいかに身近な存在であったかを示しています。
〈紅茶のありかもわからない〉というのは、「いつも紅茶を入れてくれるくらいに親しい間柄だった」ということ。
1番のAメロの前半だけで、主人公の心情だけでなく、主人公にとっての「君」の大切さを描ききっているのです。
(しかも、〈君がいないと何にもできないわけじゃないと ヤカンに火をかけた〉というのは、そのまま1番のサビに出てくる「強がり」の伏線になっている。)
こんなとんでもない出だしを受けて、1番はAメロを繰り返します。
〈ほら 朝食も作れたもんね だけどあまりおいしくない 君が作ったのなら文句も思いきり言えたのに〉
〈朝食も作れたもんね〉とやはりここでも「強がり」から始まります。しかし結局うまくいかず、〈君が作ったのなら文句も思いきり言えたのに〉と後悔をしています。
やはりここでも「君になら思い切り文句を言えた」といった意味の言葉から、主人公がどれほど「君」の事を信頼していたのかが伺えます。
この場面、得られる情報はこれだけではありません。
ぼくはこのAメロで主人公が立っている場が「キッチン」であることにも注目しています。
もちろん料理は女性がするものなんて偏見はありませんが、少なくともこの歌の中ではキッチンは女性が主役、この歌で言えば「彼女」の主戦場ということができます。
主人公はそんな場所に立ってお茶を入れたり料理を作ったりすることで、一層「君」のことを思い出してしまっているのです。
『もう恋なんてしない』は、こんな風にAメロでかなり丁寧に場面の設定がされています。
だから、このあと聞いている僕たちは、どんどん歌詞の世界に引き込まれていってしまうのだと思うのです。
Bメロで、付き合っていたときは自由が欲しいと思っていたけれど、実際に君と離れたらもっと寂しくなってしまったという感情が歌われ、サビに繋がります。
失恋理由はここにある!?1番のサビとそれ以降の主人公の変化
〈さよならと言った君の気持ちはわからないけど いつもよりながめがいい左に少しとまどってるよ〉
主人公主人公の視点で歌われるこの歌には、直接「君」の気持ちは出てきませんが、このサビのフレーズで、「君」が主人公の元を離れた理由が暗示されています。
それが、「君の気持ちはわからないけど」という部分。
1番の冒頭の様々なエピソードも含めると、お茶をいつも入れてもらって、料理を作ってもらうのが当たり前な上に文句まで言います。
その上主人公は大切な「君」が自分の元を去っても「気持ちは分からないけど」なんて言ってしまえる人。
「君」が出て行った1番の理由は、そんな主人公の態度そのものにあると思うのです。
そして後半。
〈もし君に一つだけ強がりを言えるのなら もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉
ここまでの歌詞の流れを全て回収してあるのがこのサビの後半です。
主人公は「強がり」のために、〈もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉という気持ちを発します。
これが「強がり」であるとすれば、主人公のホンネは「新しい恋なんて考えられない」です。
「もし君に一つだけ強がりを」なんて言っていますが、それまでも主人公は平気なフリをして全然ダメという姿を見せてきています。
Aメロから何度も描かれた「君」に対する「強がり」が、このサビのフレーズで、しっかり回収され、「どうしようもないくらいに『君』の事を考えている主人公」の気持ちが描かれているのです。
紙芝居型の歌詞とアニメーション型の歌詞
続いて2番。
〈2本並んだ歯ブラシも一本捨ててしまおう 君の趣味で買った服ももったいないけど捨ててしまおう 男らしくいさぎよくとごみ箱抱える僕は他のだれからみても一番センチメンタルだろう〉
僕はアーティストさんが作る歌詞には①紙芝居型と②アニメーション型があると思っています。
ひとつひとつの場面を丁寧に歌詞にして歌う事で、聞いた側が頭で繋いでいくのが①の紙芝居型(BUMPとかミスチルとかが僕の中でこのイメージ)、歌詞の中に動きが歌いこまれているのが②のアニメーション型です。
僕の中で槇原敬之は②が異常に上手いアーティストという印象です。
槇原さんの歌は主人公が、その場面の中で動くのです。
その典型がこの2番の歌詞のAメロです。
歯ブラシや君と買った服など、「君」との思い出を振り払おうとする主人公は、これらを捨ててしまいます。
しかし、次の場面でごみ箱を抱えて感傷に浸っている。
ごみ箱に捨てる→抱えるという動きから、思い出の品をごみ箱に詰めていったはいいけれど、それを見て、また「君」の事を思い出さずにはいられないという主人公の「絵」が浮かぶのです。
そんな、感傷に浸りながらBメロで君の思い出に囲まれて暮らすのも幸せと言いながら2番のサビへ。
〈君あての郵便がポストに届いてるうちは かたすみで迷っている背中を思って心配だけど〉
「君あての郵便がポストに届く」という表現から、長い間同棲していたという事が伺えます。
そして、そんな君あての手紙がポストに届くわけなので、まだ別れたばかりということも分かる。
因み「郵便が届く」という表現からも、時間の流れが読み取れます。
「君」への郵便が届くたびに主人公は君と一緒にいた事を、きっと何度でも思い出してしまうだろう。
そんなずっと忘れられないという気持ちが歌われています。
2番のサビでもう一つ注目したいのは、主人公が「君の心配をしている」という点です。
これまで見てきた通り、1番までの主人公は、「君」に強がりや文句を言ったり、出て言った理由と分からなかったりと、自分の事ばかりでした。
でも、2番になると、自分の元に送られてきた「君あての郵便」を見て、君は困っていないだろうか?と相手の心配をしています。
自分しか見えていなかった主人公が相手の事を考えるようになっているのです。
この変化は最後の歌詞に繋がってきます。
そして2番のサビの後半。
〈2人で出せなかった答えは今度出会える君の知らない誰かと見つけてみせるから〉
強がりで「もう恋なんてしない」(新しい恋なんて考えられない)と言っていた主人公はここで、新たな恋に向かう決意を君に語っています。
もちろんこれも1番同様の「強がり」と取ることもできますが、それでは2番のサビの前半に出てくる主人公の気持ちの変化が入らなくなってしまいます。
したがって僕はこのフレーズを、少しだけ前を向いた主人公の決意と捉えています。
そして最後のサビ。
ここは、〈もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉という1番の歌詞の繰り返しなのですが、主人公がこの言葉に込めた気持ちは1番とは決定的に異なっています。
1番でのこのフレーズは、君に対する強がりでした。
それに対してここでの歌詞は〈本当に本当に君が大好きだったから もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉です。
「君が好きだったから」こそ、「恋をしないなんて言わない」なのです。
ここまでで、主人公は何度も君の事を思い出してきました。
その中で主人公は「自分の思いばかりだった」から「君の事を心配する」ようになります。
「君」と別れた事を通して主人公は成長しているわけです。
それを踏まえた上でのこの歌詞と考えるのならばここでの〈もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉は「色々教えてくれてありがとう」という意味であるというのが僕の考えです。
「君のおかげで色々なことに気づくことができたから、一歩を踏み出すよ」
そんな、失恋から立ち直る瞬間の主人公の姿が描かれているのが、槇原敬之さんの『もう恋なんてしない』だと思うのです。
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