見出し画像

第47講aiko「相思相愛」〜「月」のモチーフの意味と「相思相愛」の真意を読み解く〜

映画名探偵コナン『名探偵コナン100万ドルの五稜星』の主題歌になったaikoさんの『相思相愛』という新曲。
映画のエンディングを盛り上げるのに欠かせない名曲であることは間違いないのですが、歌詞を見てみると『相思相愛』というタイトルにはどこかそぐわない内容な気が...
それなのに聞いていると思わず「わかるわかる」とどこか相思相愛を感じさせてくれるのがaikoさんの凄さです。
さて、そんな不思議な相思相愛という曲ですが、僕なりに考えたところと凄いな!と思ったところがあったので、今回はこの曲を考察していきたいと思います。

「月」に込められた『名探偵コナン』へのオマージュ

本来の歌詞考察ならば真っ先に「相思相愛」という主題を紐解かねばならないのですが、この曲が映画のタイアップということで、先ずは表題作との関係性について触れていきたいと思います。

1番のAメロBメロが終わった後に出てくる二度目のサビは〈わたしはあなたにはなれない なれない ずっと遠くから見てる 見てるだけで 月と目が合って笑う〉という歌詞なのですが、この部分だけ全体の曲のイメージからはやや浮いたイメージとなっています。
僕はこの歌詞を聴いた時に、アニメ『名探偵コナン』のメインテーマである『キミがいれば』へのオマージュなのではないかと感じました。

『キミがいれば』はひとりで傷だらけになりつつ戦う「キミ」に向けて、何もしてあげられないけど手を差し伸べたいと祈る孤独な主人公が描かれています。
それはさながら自分がいなくなった事で悲しむ蘭に声をかけたいけど声をかけられない新一の気持ちでもあり、ひとりで難解な事件に立ち向かう新一を支えたいけれど邪魔にしかならないと分かりじっと無事を祈るしか無い蘭の気持ちでもあるというように、どちらの視点からも受け止められます。
そんな『キミがいれば』ですが、2番のサビでは〈月と太陽なら私は月キミがいれば輝けるよ〉という歌詞が登場します。
「孤独で胸が張り裂けそうだけど、キミのことを信じてじっと待っている。だってあなたは私を輝かせてくれる太陽だから」と、相手が自分の存在意義になるほどのかけがえの無い物だからじっと孤独に耐えられると歌うコナンのメインテーマですが、aikoさんの『相思相愛』に出てくる「月と目が合って笑う」はこれを指しているように思うのです。

『キミがいれば』に出てくる主人公はじっとあなたのことを信じて遠くから待ち続けているけれど、わたしはあなた(あなたたち)みたいな恋愛はできない。
(それはまるで新一と蘭の関係を見る平次と和葉の関係にも見えます)
それが、「わたしはあなたにはなれない」「ずっと遠くから見てる」「見ているだけで月と目が合って笑う」という2番の歌詞の意図と考えると、歌詞全体がとてもしっくり見えてきます。

『相思相愛』歌詞考察

冒頭のサビ

この曲は全体を通してとにかく余韻のある言葉選びとなっています。
そのため、ひとつひとつの言葉について考えていく事から始めたいと思います。
まずは頭のサビの部分です。
〈わたしはあなたにはなれない〉という部分ですが、僕はこの部分について「なりたいけどなれない」という意味で捉える言葉なのかなあと思っています。
この曲は「どこかにある地球の」「本当は無い世界に」とAメロを中心に仮定の物語が描かれます。
であるならば、ここでの「〜できない」は直接法的に「あなたとは違う」と捉えるのではなく「できるならあなたに近づきたいのに」ととる方が自然だというのが僕の考えです。
で、肝心の近づきたい「あなた」とは誰か?
僕はここでの「あなた」は仮定の世界にいる私のことだと受け止めました。
仮定の世界では積極的に告白できた私と現実の世界で勇気が出せず気持ちを伝えられない私。
現実の私が理想の私のように一歩踏み出す勇気が欲しくて悩んでいるのがこの歌の主人公なのかなというのが僕の解釈です。
この意味でサビの後半も捉えるなら〈ずっと遠くから見てる 見てるだけで〉も"だけで"という部分に注目して、「遠くから見ているだけでこんなに好きと同時に胸が苦しいから」と考えられます。
このサビは本心ではあなたに好きと伝えたいのにその気持ちを伝えられない恋心と考えることができるでしょう。
もちろん賛否はあるでしょうが、一旦この文脈で後の歌詞を見ていきたいと思います。

架空の恋人関係を夢見る1番のA Bメロ

先にも触れましたが、この曲のAメロでは「どこかにある地球の」と架空の世界が描かれます。
架空の世界でキスをして泣いている二人の姿。
そんな二人の姿を頭に浮かべつつ、 Bメロでは雰囲気が一変します。

Bメロに入ると、Aメロで思い描いた関係が粉々になってしまった恋人の姿が。
これは完全に僕の妄想になってしまうのですが、これは出会えなくなってしまった"相思相愛"な二人である蘭と新一の姿を暗に示しているのではないかと思うのです。
Aメロでもし告白して結ばれたらという世界を描き、Bメロで結ばれずに運命に引き離された二人を描く。
そんなモチーフを引き連れて入るのが2回目のサビのパートです。

「月」がモチーフの二度目のサビ

冒頭でも書きましたが、ここでの「あなたにはなれない」は1番と違い名探偵コナンのメインテーマに出てくる「私」のこと。
相手と結ばれるまでどれだけ孤独でもじっと待ち続ける「私」は凄いけど、この歌の主人公の私はそんな待ち方はできない。
この歌の主人公にが進むのは勇気を出して一歩踏み出す「理想のあなた(私)」の姿か、そうでなければじっと好きな人を待ち続ける「月に投影するあなた(蘭や新一)」の姿しかありません。
一歩進む勇気は無いけれど、孤独に耐えて待ち続けることもできない。
告白したいけど告白できないという繊細で矛盾する気持ちがとても綺麗に表れているように思います。

自分の内面と向き合う2番の歌詞

2番のAメロでは再び仮定の世界の話になりますが、ここでは「結ばれた二人」を思い描く1番と異なり、「もしもに怯える」自分の内面が描かれます。
告白すればうまくいくと薄々思っているのに「もしも」が怖くて言えないでいる。
そんなAメロを受けて、Bメロは2番でも1番同様現実が描かれます。

「現実」とは言っても2番で描かれるのは引き続き主人公の内面です。
ここで歌われるのは本当の自分の気持ち。
主人公はあなたと会った時に素直に笑いたい。
等身大の自分の気持ちであなたと一緒にいたい。
そんな自分の気持ちと向き合った上で、やっぱり一歩踏み出せないままでいる。
次のサビの中で〈心を突き放す思いに暮れるだけで〉とあるのはそんな自分に対するもどかしさみたいな物でしょう。

一歩踏み出したい、けど踏み出せないでいる。
そんな自分の心情にモヤモヤしつつも今日も見ているだけ。
主人公の気持ちはこんなところなのでは無いでしょうか。

片思いに見える歌詞に潜む「相思相愛」という視点

さて、改めて歌詞を考察してみましたが、その上でも(むしろ考察すればするほどに)「相思相愛」とは言えないようにも思えます。
僕も初めはそう思ったのですが、昨日ふとXに流れてきた「相思相愛って周りがいう物で自分たちはわからない」といったポストを見てハッとしました。
そらは先に考察したような気持ちは主人公だけでなく、実は「あなた」の側もそうなんじゃないかということです。
どちらも一歩踏み出したいと思っているのに踏み込めないでいる。
そして二人の姿は周りにいる人からみたら「相思相愛」である。

この映画の中心にいるのは服部平次と遠山和葉ということで相思相愛の二人と言えば平次と和葉が頭に浮かびますが、ちょうどこの関係は新一と蘭、もっと言えば快斗(怪盗キッド)と青子の関係にも当てはまります。
どちらも相手を意識しているのに一歩踏み出せないでいて、そんな二人の姿を周囲の人たちは「相思相愛」と微笑んでみている。
そしてこの「相思相愛な二人組」という視点は、そのまま僕たち名探偵コナンのファンの視点でもあります。
主人公たちのドギマギする気持ちを優しく歌い上げると同時にそんな二人を「相思相愛だよね」と微笑ましく見守る視点。
この曲が一見片思いを歌うようなのにどこか微笑ましく「相思相愛」な二人をうかがわせる、そして何よりエンディングとしてこれほどぴったりくるのは、aikoさんがそんな視点から歌を仕上げたからなのかなと思います。

抽象的な歌詞は特に解釈が多様になります。
だからこそそれぞれの受け止め方で共感できるのもこう言った歌詞の魅力でしょう。
僕はaikoさんの新曲をこのように受け止めましたがみなさんはどのように聞きましたか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?