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中学2年生をテストで悩ませる走れメロス考察〜メロスが友についた嘘〜
中学2年生の教科書に長いこと掲載されている太宰治の『走れメロス』。
人を信ずることができぬ王にメロスが命を賭して人を信じることを教える物語なのですが、毎年子どもたちの感想を聞くと共感できるかできないかという声はさまざま。
メロスが好きでないという感想を聞くことも少なくありません。
かくいう僕もメロスの生き様はどちらかというと否定寄り。
人をまとめる立場の人間は清濁併せ持ってよりベターな選択肢を実現するものであり、何も「世界」に責任を背負わない一人の若僧が己の正義感を押し付けて、はてはそれに王が諭されるというストーリー展開は少なからず組織をまとめる立場になった今、必ずしもメロスに共感できない自分がいたりします。
そんなわけで子供達から「メロスに共感できない」と言われた時、自分なりの解釈を伝えるわけですが、その場合教える仕事をしている以上、単なる読者としての観点とは別に「読み方」として自分なりの違和感を説明する必要が出てきます。
というわけで今回は僕が漠然と「走れメロス」が好きになれない立場に立った場合、同意観点からその論を構築していくかということを考えていきたいと思います。
メロスがセリヌンティウスについた嘘
むかし、教材研究のために『走れメロス』について研究した論文を読んでいた時にふと目に止まった言葉がありました。
それが「メロスはセリヌンティウスに嘘をついた」というもの。
このひと言を見た時、僕の中にあるメロスに対するモヤモヤの正体がわかった気がしました。
メロスは物語の後半、なんとか竹馬の友セリヌンティウスを解放したあとに次のような言葉を言っています。
「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
この場面を自分の弱さの吐露という美談として受け取ることが一般なのでしょうが、その論文ではここにメロスの嘘があると指摘されていました。
メロスは「一度だけ」自分の生を選ぼうとしたとセリヌンティウスに告白します。
しかし、実際のメロスは妹の結婚式の際、次のように思っています。
むんむん蒸し暑いのも怺こらえ、陽気に歌をうたい、手を拍うった。メロスも、満面に喜色を湛たたえ、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。
もちろん明確に「友を裏切ろう」としたわけではありません。
しかしメロスはこの瞬間友の命を担保に3日の猶予を得たことを忘れ、目の前の幸せに浸っているわけです。
もちろんメロスはこの直後、生きることを望みながらも親友の命を担保にしていると言い聞かせ、シクラスの村に戻る決意をします。
ただこの一瞬、そうした気持ちが芽生えたことと、そうした気持ちが芽生えたことの悪心に無自覚なところがまさにメロスの性格を表しているように思うのです。
メロスの正義感とその怖さ
メロスはセリヌンティウスに対して、「途中で一度、悪い夢を見た」と自分が友を裏切ろうとしたことを謝罪します。
しかしその一方で、自分が「王との約束を忘れていた」という気持ちを持ったことに関してはそれがセリヌンティウスに対する裏切りであるということへ自覚さえしていない。
この無意識の部分が、メロスに共感できない人たちが抱く漠然とした違和感の一つであるように思うのです。
自分の正義感を信じて疑わず、それを貫くためには結婚式を強引に早めたり親友の許可も得ずに磔にしたりと周囲の気持ちなど考慮しない。
その反面自分の中にある無意識下の弱さには無自覚でそれゆえ心からの言葉として「一度だけ」君を裏切りそうになったという言葉を投げかけられる。
「悪政を敷く王を見返すために行動する」
今回のこの一点に関していえば、メロスの行動が正しかったということになるでしょう。
しかし、こうした場面が繰り返し続けば、メロスの行ったこの「無意識の嘘」は大きな裏切りに繋がりかねません。
そうなれば暴君とされたディオニスのいう「人の心は信じられない」ということが正解になるかもしれない。
そう言った自身の思考の中にある「悪」に対して徹頭徹尾無自覚な様が、メロスが苦手と感じる人にはきになるのかなあと思うわけです。
勧善懲悪の物語は反対意見が出しづらいもの。
と、いうわけで今回は走れメロスが苦手な人の立場に立って物語の苦手な根拠について考えてみました。