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コラム 在り方に目を向ける 〜「今、私は、ぼくは」の授業から考える〜
教師生活14年目。
小学6年生の3学期。
2月の国語の授業。「今、私は、ぼくは」という単元に入った(光村図書)。
授業冒頭。早速、単元の目標を読んでみる。
「自分の思いや考えが、聞く人の心に届くように、資料を使ってスピーチをしよう。」
とあった。「スピーチ」という言葉が出るや否や、「発表かぁ…」と暗い顔をする子がちらほら。
「『自分の思いや考え』ねぇ…さて、どんな思いを書かせようか…」と思いながら授業を進めていった。
今年度で3回目の6年生。つまり、この授業を行うのも3回目のはず。
だが、今回は、教科書にあったある言葉に強烈にひかれた。
「将来、どんな自分でありたいかをまとめましょう。そして、そう考えるようになったきっかけや、そのときに感じたことを整理しましょう。」
「将来、何になりたいか」ではなく、「将来、どんな自分でありたいか」。
まさに、在り方そのものを問う単元だったのだ。
私はすぐに子どもたちに問いかけた。
「将来、どうありたいの?」
「歌手になりたい!」「お金持ちになりたい!」
と子どもたち。私は、「それは、在り方じゃない」と一蹴した。
「いい?みんなが言っているのは、『何になりたいか』なの。先生は、それを聞いているんじゃない。その職業に就いて、どういう世の中を創る自分でいたいかを聞いているの。」
学校教育の中では、「将来の夢は何?」「大人になったら何になりたい?」と、職業ばかりに目を向けさせる。6年間そういうことを聞かれ続けた子どもたちが、「なりたいもの」を語り出すのも無理はない。
この卒業を間近に迎えた時期だからこそ、聞いてみた。
「何でその職業に就きたいの?その職業に就いて、何がしたいの?」
「歌手になって、お客さんに喜んでもらいたい。」
「偉くなって、世界を平和にしたい。」
少し、在り方に近づいたと思った。
「たくさんの人に喜んでもらい、感動を与えられる自分であること」
「世界平和の実現に貢献する自分であること」
本当にやりたい事ならば、それに向けたどんな職業に就いてもいいと思う。1つの職業に就くことは、自分が望む世の中を創る一つの手段に過ぎないからだ。
先日、ある研修会で「在り方8割、やり方2割」という話を聞いた。在り方があるからこそ、やり方が見えてくる。今回で言うやり方は、まさに職業の名前を指すと思う。
これから、自分の在り方についてのスピーチを書かせていく。今後の子どもたちの生き方の指針となるような授業にしたい。
「あなたがこの世で見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい」
これは、あのインドの賢者、マホトマ・ガンジーが、孫に語った言葉。
在り方を考えることは、まさに、自分がどう生きたいかに関わる根源的な問いだ。
そんな授業をした私自身も、在り方に目を向けて生きていきたいと感じる時間だった。
このブログでは、現役教員としてたくさんの失敗を積み重ねてきた私が、当時の失敗を今ならばどうするかという視点をもち、書いています。教師として働いている皆様に向けたヒントとなることがあれば幸いです。
また、時には教育の世界に向けた私自身の思いを語る場になることもあるでしょう。
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