モトBlog】私がライダーに戻るまで。
何かを始めるには「キッカケ」があると良い、とはよく聞く話です。
そして、リターンライダーとして約20年越しのバイク乗り復帰を果たしたばかりの筆者にとっては、バイクは昔も今も「キッカケのカタマリ」のような存在なのです。
本項では、そんな「キッカケ」を軸に据え、元・バイク馬鹿が現・バイク馬鹿に変わるまでの変遷について晒しておこうと思います。
※長文記事になってしまいましたごめんなさい※
時は1990年代半ば。
バブル経済が崩壊して国のお先は真っ暗でしたが、バイク文化はネイキッドブームとクラシックブームの最中!まだまだ元気一杯でした。
当時大学生だった筆者はバイクへの興味こそあれど、どちらかといえばクルマへの憧れが強く、カーデザイナーを志して大学の美術系学部に進学し、油彩画家や美術塾講師としての活動をしつつデザイナーのバイトをやっていた程でした。
しかし、小学校時代からの付き合いだった幼馴染が急速にバイクへと傾倒し「やっぱ250cc4気筒だよな」「2ストレプリカもいいな」といった男子あるあるな話を日々耳にしていた影響か…筆者が最初に取った原付以外の免許は、クルマではなくバイクになったのです。
なんともいい加減というか適当極まりない「キッカケ」ですが、実際こんな感じで筆者はライダーへの道を選びました。
(当時はまだ大型免許制度がなかったので、最初は中型免許を取るのが当たり前であり筆者も中免を取得しました)
その幼馴染は当時ジールに乗っており、他の友人もR1-Zとか割と速い目のモデルを好んでいたのですが、アートかぶれな感性ゆえ「カブラかっこえー」「エストレヤ乗りてー」などと顔面偏差値低いくせに抜かしていた筆者としては爆音がやかましく風情もアートみも旅情もないバイクなど論外であり、周囲も「アイツは遅い系のオサレバイクに乗るんだろうな」と思っていたそうです。
そして、いよいよファーストバイクを決める日がやってきました。
かつて草ラリーをやっていた元クルマ馬鹿の親父もバイク屋についてきて、筆者は店内に置いてあったオレンジ色のルネッサに目が止まり…それにしようとしたのですが
そこで親父が割って入り、ルネッサを購入しようとしていた筆者を制止しながら、傍に置いてあったなんかヘンな形のテールカウルがゴツゴツした小汚い2ストレプリカを指差し
親父「これ(TZR)にしろ!かっこいいじゃねえか」
筆者「嫌ァ!レプリカダサいし!2ストって音ダサいし!」
後に2ストオイルの焼けた臭いと腐ったガソリン臭を定期的に嗅がないと禁断症状で気が狂う体となった筆者としてはありえない話ですが、全て脚色なしの事実です。
必死にレプリカを買わせようとする自分も乗りたかったらしい親父と、どうにかオサレバイク購入という事でハンコを押してしまいたい筆者が店内で揉めている中、見かねた店長さん曰く
店長さん「それならネイキッドはどうですか?」
筆者「あ…いいかも…」
親父「決まりだな!」
という経緯で、筆者のファーストバイクは赤いカワサキ・バリオス(1型)になりました。これまた適当な「キッカケ」ですね…
(本項TOP画像に写っている個体が当時の愛車バリオスそのものです)
この後のバイク遍歴は非常に長くなるので省きますが、バリオスの超高回転絶叫サウンドでエンジンの快感に目覚め、その後幾多の出会いやバトルや別れを経て
2ストバイクと旧車をこよなく愛する変態バイク狂
として「できあがって」しまいました。オサレ?知らない子ですね
しかし、そんな「自他共に認めるバイク馬鹿」だった筆者でも、バイクを降りる日が来ました。正確に言えば、唐突にバイクを辞めたのではなくフェードアウト的なものでした。
そのキッカケは幾つかありますが…
キッカケ① クルマを使う割合が増えた
このキッカケについては割と一般的にあるあるな話だと思うのですが、筆者はそれまでバイクとクルマの棲み分けに成功しており、どちらも楽しんでいくつもりでした。
しかし、当時付き合っていた彼女が「自身もバイクに乗って一緒に走る彼女」から「クルマでのドライブを好む彼女」に変わり、更にインコやモルモットといった「長期外出時、クルマでの輸送を行う必要があるペット」を飼い始め、ライフスタイル自体がクルマを必要とする頻度の高いものに変わっていった事で、必然的にカーオーディオ等のクルマへの投資額が増し、バイクに乗ったりメンテしたりする頻度も時間も、そして二輪枠の予算も減ってしまい、それに伴い保有車両数が減っていき、最終的には数台の古い50ccバイクのみとなったのです。
キッカケ② ツーリングの楽しみを知らなかった
「えっ?ライダーなのにツーリングしなかったの?」と思われそうなキッカケですが、ツーリング自体は彼女や友人やサークルメンバー達に誘われる形で何度もやりましたし、楽しい思い出も沢山あります。
しかし筆者は、バイクに乗って弄って直して走り回り、バトルし、あちこちに行き、時には仲間と群れ、時にはコースを走る…という所で止まったまま満足してしまいました。つまり、ツーリングを自ら計画し実行した事がなかったのです。
だから、バイクに乗る頻度が減ってサークルを解散し、ライダーやバイク屋さんとの交流の頻度が減ると、バイクに乗っても行く場所が減ってしまい、虚しくなってきました。
更に当時、主にクルマの方でお世話になっていた走り屋の先輩が某埠頭にてドリフト中、下手糞ドライバーの運転に巻き込まれそのまま車内で亡くなってしまいました…
この事故で、筆者も日々バイクでつるんでいた別の走り屋の先輩も皆意気消沈状態となり、筆者は泣きながらMVX250Fで海辺をポロンポロン走りつつ「俺はどこに走っていけばいいのだ…」と悲嘆に暮れ、「バイクを降りよう」という考えが初めて脳裏をよぎった事を覚えています。
(故に今も、MVXを見ると泣いてしまう事があります)
歴史にifは禁物ですが、もし当時の筆者が「ひとりでも楽しめるツーリング」という選択肢を持ち合わせていれば、尊敬する先輩を失ってもツーリングで心を癒し、バイクに乗り続けるモチベーションを保てたかもしれません。
キッカケ③ 街中に引っ越した
このキッカケも、①同様あるあるなものだと思います。
大学を出て某ギャラリーに就職した筆者は郊外から市街地中心部に引っ越したのですが、筆者の住む福岡という街は交通インフラがたいへん高密度に発達しており、市街地で働き暮らす限りはクルマやバイクが無くても全く困らず、ぶっちゃげ自転車で事足ります。
当時の彼女もクルマでのドライブにそこまで固執しておらず、郊外での大学生活では文字通りの足として重宝していたクルマを就職と同時に手放す事への抵抗はありませんでした。
クルマを手放し、残っていた数台の原付も手放したり倉庫に直したりして我が家から姿を消し…
最後に残った筆者の「ラストバイク」RG50Tがフレーム腐食破損で力尽きた瞬間、筆者のバイクライフは終わったのです。
…といった複数の「キッカケ」があり、筆者はライダーを辞めました。
その後デザイナーとして自立し、後に起業した際に社用車の一台としてトゥディをお迎えした事はありますが完全なる業務目的であり、トゥディ自体は元気でよく走る可愛いスクーターながら…かつてバイクに乗った時の興奮が蘇る事はありませんでした。
それから更に長い年月が流れましたが、筆者が再びバイクをガレージに迎える事はやはりなく、ただ時だけが流れていったのです。しかし焼けた2ストオイルや腐ったガソリンの臭いを嗅がないと気が狂う禁断症状は20年間治まらず、たまに知己のバイク屋でクンカクンカさせてもらう事で魂の奥底に眠るライダーとしての本能を慰めていました。魂は明らかにバイクを欲しているというのに(道路や駐車場でバイクを見るとワクワクしていたし2スト250ccだとチャンバークンカクンカした)、約20年もの間バイクに乗らなかったのは、上記の「キッカケ」を経て、バイクに乗るという行為への虚しさを強く感じていたからに他なりません。
その状況を変える最初の「キッカケ」となったのは、ふとした事情で我が家に居候する事となった同居人(女性)が「中免取ってバイクに乗りたい!」という話を持ちかけてきた事でした。
同居人「ZX-25R乗りたい!」
筆者「いいと思うけど高いし250cc4気筒って街乗りじゃ遅いぞ」
同居人「ウソやん!25R最速ってネットでも言われてるし!」
筆者「よかろう、ではバリオスとVT250Fの話からしよう…」
てな感じで昔話をする流れになり、バイク関連の情報を全く収集していない訳ではなかったとはいえ筆者が「浦島太郎状態」である事には変わりなく、YouTubeバイク動画を見たり近場のバイク屋に通う事で情報・知識面での大きなギャップを補いつつ同居人の「バイク欲しい話」に付き合い、自分が乗る訳ではないので専ら情報提供役に徹していたのですが…
その同居人が某バイク屋さんで多くの展示車両を将棋倒しにしてしまうもお店に謝らず逆ギレする…という「事件」を起こしてしまい、その場は辛うじて鎮火に成功したものの、事後処理については後日話し合う事になったのです。
バイク屋を出た後、筆者は思わず同居人に怒鳴ってしまいました。
「お前、本当にバイク好きなんか???バイク乗ってる自分が好きなだけやないんか???」
同居人からの的を得た返答はありませんでした。
同居人にとってのバイクとは、服や靴やスマホと同列の「アイテムのひとつ」であり、バイクが欲しいとは思っていても、好きなバイクを目の前で壊しても表情ひとつ変えず、ただ「客」としての立場からバイク屋さんに物凄い形相でキレ散らかしていたのです。
そういうバイクとの付き合い方が昔も今も「ある」のは重々承知でしたが、筆者はその日の夜、同居人に家から出て行ってもらいました。
同居人に早々に出て行ってもらった事自体には後悔は全くありませんでした。筆者としては他人様のバイクであっても傷つけたら申し訳ないと(普通に)思いますし、傷つけてしまったバイクもかわいそうです。
事件は起こってならない類のものでしたが、「バイクが好き!」という自らの強い感情を再確認するキッカケになりました。
それから数日後の夜、夢の中にかつての愛車・ミニトレGT50が出てきました。ミニトレは犬のように可愛く、愛しい相棒でした。
夢の中で、元気な排気音に「また遊ぼう」というメッセージを添えて…
何はともあれ、自分がバイクを降りて20年経ってもバイクを大好きなのはわかりました。
そして、バイクに再び乗る決定的な「キッカケ」となったのは、近場の郊外に小さな農園を借りる事ができる話を頂き、農園までの急な傾斜路を移動し、簡易な輸送作業をも担える小回りの効く整備性に優れたマシン…具体的にいえばカブを調達する必要が出てきた事でした。
しかし当時は例の流行り病による混乱まっ盛りな状況+密回避できる趣味の人気+バイクブームでバイクの中古価格が異常な勢いで高騰し始めており、不幸にも手頃な価格&コンディションのカブは近場にありませんでした。
そこで…
妥協案ではありましたが、スクーターとしてはズーマー以上にスッカスカで整備性に優れたバイトの安価な個体があったのでお迎えし、とりあえずの足として運用を開始したのです。50cc実用スクーターをバイクとしてカウントするのならば、このバイトがライダー復帰第一号マシンになります。
しかしながら、付き合いのない某ヤフオクでお馴染み激安バイク屋で「店頭購入+納車整備付き」にて買ったバイトのコンディションは酷いを通り越して「納車整備費用払ったけど何したんだろう?」と首を傾げるレベルの代物でした。
付属の純正マフラーが激しく破れて(というかIN側が腐り落ちて)いたのは事前確認で知っていたので、Amazonにて別途購入したズーマー用格安ステンレス管を納車と同時に付け「騒音公害化」は辛うじて回避しましたが、あろう事か納車直後に店から30mも走らない内にエンジンが止まり、その後も短距離でエンストを繰り返し、排気の臭いからして「これエンジンオイル入れてないやつやな…」と判断してバイク屋に引き返し再整備をお願いするも「知ったような事言うな!そんな訳ないだろ」と返され、店員は舌打ちしながら渋々と駆動系やら何やら分解していましたが…故障の原因は案の定、エンジンオイルの入れ忘れでした。
その上冷却水もクーラントではなく水道水が入れられており「あの…クーラント入れてもらえないんでしょうか」と尋ねると「水でいいやろ!」と怒鳴られる有様で、上の納車直後(正確に書けば納車2日後)・緊急整備画像にも写っていますが…冷却水リザーブタンクに繋がる配管は金魚用か何かの透明ホースを突っ込まれて強引に繋がれていました。先端が水面から出ていたので無意味な配管でしたが。
更にエンジン側インシュレーターは既にガチガチに劣化してヒビ割れており案の定崩壊したので筆者にて新品交換、キャブ周囲や車両内部には落葉や動物の死体が半分土と化してぎっしりと堆積しており、「放置バイクを引っ張ってきてエンジン掛けと最低限(以下)の整備だけして激安販売している」事が容易に推測できる状況でした。
とはいえ元々安かったのとジャンク車両の扱いには慣れていたので、筆者としてはむしろ超久々のバイク弄りをリハビリ的に楽しめました。
普通のお客さんなら激怒+クレームどころか消費者センター案件だと思いますが。
そして、この致命的にボロいバイトの修理を通じて…かつての旧車レストアラーとしての感性ないし感覚が蘇ったのです。そういう意味では、バイトがボロくてむしろよかったのかもしれません。
その後、このボロいバイトには修理と改造を重ね、積載能力に乏しい街乗り特化型スクーターでありながらもちょっとしたツーリングすら難なくこなせる程のパワーアップ(と長距離走行時の疲労軽減・積載能力向上)を果たしました。
バイトは走る楽しさこそ乏しかったものの、かつてライダーだった筆者が「ツーリングする楽しさを追い求めなかった」というミステイクを気付かせてくれたのです。
農園での足としてお迎えしたバイトですが、肝心の農園が色々な事情にて土地を使う事が難しくなってしまったので「農業バイク」としての役目を早々に解かれ、意図しない形での「遊びバイク」となりました。
そうなると、50ccスクーターのバイトでは自ずとキャパシティ的な限界がありますし、ツーリングの楽しみを垣間見ながらレストアラーとしての技術的なリハビリも進め、かつて愛した2ストバイクにも再び乗りたくなったので…筆者は、信頼できる某旧車屋さんに以下の条件を満たす「バイト後継」のバイク、もとい「本当の意味でライダーとしてリターンするためのバイク」探しをお願いしたのです。
条件①:排気量50〜125cc
条件②:空冷2ストロークエンジン搭載
条件③:マニュアルミッション搭載
条件④:残存個体数の多さ
条件⑤:補修パーツ調達性の良好さ
条件⑥:予算○○万円以内
条件⑦:エンジンが壊れている事(レストア練習用)
条件⑧:末長く愛せるバイク
これらの条件を満たしてくれる車種ないし個体は自ずと限られてきますが、店長さんはベストと言えるチョイスで応えてくれました。
「低走行ピカピカなのにエンジン全損+タイヤ前後劣化+Fフォーク要OH」という、何か手品でも使ったの?と言わんばかりにドストライクなYB-1。当然その場で即決!練習とリハビリを兼ねた楽しいレストア作業を経て復活し、筆者もライダーとして復活。現在に至ります。
という訳で、筆者を最終的にリターンさせた最後の「キッカケ」は「ボロいバイト」でした。
「ミニバイクなんてバイクじゃない!ライダーを名乗るな!」と言う人もいらっしゃるかもしれませんが、バイクに排気量なんて関係ありません。
1300cc4気筒バイクでも50cc単気筒バイクでも基本は同じ。20年越しのリハビリをやっている身という事もあり、デカさで見栄を張るメリットは皆無です。むしろ、ちっこい2ストバイクでブンブン小気味良く走り回る楽しさは大きなバイクでは到底味わえないものなので、我が家の通勤兼買い物兼ぶらぶら担当として、このYB-1には末長く活躍してもらいます。
次にやってくる予定のバイクは若干大きいですが、きっと楽しいでしょう。
(これまた2スト。どんどん増えて甦れ!我が2スト牧場!)
なお、リターンライダーのきっかけになってツーリングする楽しさを気付かせてくれた功労者・バイトですが…残念な事に購入時点で既にエンジンマウント基部その他複数のフレーム要所が激しく腐食欠落しており、長期間運用ができなさそうな個体だったので(フレーム補修・補強も考えたがそのお金で別のバイトを買えるレベル)、YB-1と入れ替えで引退しました。
本当に色々ありましたが、もう乗れなくなるまでバイクを降りる事はないでしょう。
青春時代から今に至るまでを太い一本線で繋いでくれる唯一無二の存在にして、全ての感情と愛情と情熱をぶつけるに足る唯一無二の存在ですから。
あと、焼けた2ストオイル臭を再び毎日嗅げるようになってから、心身の状態もかなり良くなったような気がします。
2ストバイクは地球にこそ優しくありませんが、2ストバイク好きにはこの上なく優しい存在ですから。
このクッソ長いテキストをお読み頂いた皆さんもどうでしょう?
バイクはいいですよ。
2ストバイクは、もっといいですよ。
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