しなやかに したたかに③
大学2年生となり、近藤ゼミの一員となった。私たちは、頻繁にゼミ室に通っていた。7、8人も入ればいっぱいになってしまうような部屋だ。おまけに、壁一面に書籍が。
でも、たまらなく居心地がよかった。
ゼミ室に行くと、必ず飲むものがあった。ロシアンティー。紅茶にジャムを入れたもの。これが美味しい。少しだけ、ブランデーの入った大人の味だった。
近藤先生は、大学の先生っぽくない風貌で、大抵、チェックのシャツを着ていた。ザ・ノースフェイス。こだわりをもたれていた。
近藤ゼミは、教育実践文の分析をテーマにしていた。
笠原喜久恵著『友がいて ぼくがある』
読み進めるにつれて、心が痛くなる。まだまだ子どもだった私は、最初、教師ではなく、この話に出てくる小学生の視点にたってしまっていた。まったくもって、トンチンカン。しかし、だんだんと教師の視点に立って、読み取ることができるようになった。
教師のできることには、限界があるのか。でも、力の限りを目の前の子ども達に注ぎこむことは、できそうだ。子どもを目の前にして
しなやかに したたかに
生きていくことならできそうだ。
自分だけで読んでいたときには、気づけなかったことが、ゼミのみんなと話し合うことで、見えてくる。学びの協同体。自分の意見を述べることは、苦手だったけど、認めてもらえるので、安心して参加できた。
今、振り返ってみると、近藤ゼミの姿は、小さな教室そのものだった。協同、認め合い。私、今、ちゃんとできているかなあ。
ここでの3年間は、30年!近く経った今でも、くっきりと思い出せるくらい、濃くて充実した日々だった。
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