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「さよならサンボ」を「ノート写経」から再びツッコんで行く。

といふことで、結局続きモノになってしまいました。
経緯としては下記の2つを通ってから来ると
より状況は理解出来るかと思います。

ま、本編といいますか、この本は現物を手にする機会に
恵まれず、主に図書館で借りるより手立てのないケース
でしたので、何度か「ノート写経」をした部分がござい
ますの(図書館司書が本に直書きなんて、そんなはしたない
ことなんざ出来ません)で、たまたま写経ノートを眺めて
いたら「さよならサンボ」の「ノート写経」が発見出来たと。
今回はそこから見えてくる気づけた部分の「再見」部分を
あらためて検証していくことになるかと。

(で、ついでにつまらなくnoteのサジェストが付き纏わせて
くる海賊本と更に劣化したシロモノを「一緒くた」にして
くるのが如何に有害か、を証明すること、も同時になんか
課せられているような気はするんですが(なので、その標的
に関してはリミッター解除で攻撃していくことになります
のであしからず))

米国で出版されたさんぼ本は全て紛い本の
真っ黒判定。ライブラリアンが採り上げる
に価しません。

と以前のnoteで書きましたが、最大の理由はまずここに
依拠しています。

バナマンは、この物語をわが子の日常とだぶらせ、しかも
まったく架空の場所に設定して描いているのである。

ところがヘレン・バナマン以外のイラストレーターが絵を描いた版は
サンボはステレオタイプの黒人にされ、ひどい暮らしをしているように
描いている場合が多い。

経済学で「悪貨は良貨を駆逐する」というように、
質の悪い絵はこの独特な物語についての一般大衆の意識を
決定することになった。
 こうした質の悪い絵はほとんどアメリカで描かれたものであった。

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」p91

アメリカ版の『ちびくろサンボの物語』はステレオタイプ、
というだけではない。醜く残忍な姿に描かれ、
黒人を奴隷のイメージに閉じこめてしまうようなしろものである。

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」p105

こうした劣悪な海賊版を助長したのが
当時の英米間の事情によるもの、といふことも抑えて
おきたい。

著作権の保護が遅れていた当時のアメリカには、
海外の書籍の著作権をわざと守りにくくした出版法があり、
イギリスの出版界においては災いの元であった。
当時のもう一冊の花形絵本であった『ピーター・ラビット』も
その犠牲となっている。

[ようやく「サンボ」が素顔を見せた-アン・ヘリング(法政大学教授(当時/児童図書史))]pV

なので無自覚に1920年代の偏見と捻じ曲がった価値観
たっぷりのアメリカ版を今の時代にひけらかすのは
「オロカ・ブ」以外の何物でもないわけで。


むしろ昨今の定家版源氏物語の発見がニュースになる
ように、「ちゃんとしたホンモノのちびくろサンボが
あるのだろう」と戦後の日本の絵本作家やクリエイターが
模索してきた中で、ようやく1990年代にホンモノが
(まあ余りいい形で出て来られた代物ではなかったけれど)
紹介されるに至った、ってラインを図書館司書で
あれば正しく見計らう、といふのが本筋なのかなと。


先だって紹介した飯沢匡が関わっているトッパン版に
関しての「さよならサンボ」における評価はおよそ
次の通り。

私が見た中で、1953年刊の岩波版の次に早く出たのは1958年に出たトッパン版であった。

これは絵のかわりに、ぬいぐるみを場面に合わせて
ポーズをとらせて撮った写真を使っている。
同書は、この作品のすばらしさのひとつに、
「教訓をおしつけていないところ」を掲げている。

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」p41

スタイルとしては「ブー・フー・ウー」とかやってた
飯沢匡ならではのリミテッド・アニメーションを絵本に
採り入れた形のようですね。なんだか昨今話題になった
「PUI PUIモルカー」と同様の流れを感じないでも
ないのですが(人形製作は後の人形劇「三国志」も
手掛けてた川本喜八郎だし)。

https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=puppet-anime001

そしてアフリカの風俗にしている本もあるが、
虎が出てくるところから、「正確」を期して
舞台をインドとしたうえ、ごていねいに
「サンボ、という名もインドの名と思ってよいのではないでしょうか」
と誤った解説を加えている。

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」p41

まあこれがホンモノの入って来ない時代における
ちびくろサンボの模索段階、と観るのが正しい解釈に
なるのかなと。

次いで1983年に刊行された講談社版についての
言及としてはこうある。

1983年に、魅力的な版が出現した。
その講談社版は画家を森やすじと伊藤主計にかえて、
舞台もきわめて快適なインドの家庭にしてある。

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」p46

森やすじのハウス名作劇場は『小公女セーラ』で
ギリギリ間に合ったのですが(レイアウト監修で
クレジットされている。屋根裏のネズミをはじめ
随所に観られるキャラクターの表情、しぐさの
愛苦しさともいえる部分はひとえに森やすじ氏の
事績の賜物。

但し中盤までで後半はタッチ出来ずここまでが
参加作品の最後の作品になったとされる、1991年没)、
名作劇場ルートでの把握と模索がちゃんとあった、
といふことが観られる上でもこの講談社版は
抑えておきたい一冊なのですが。

 まあヘレン・バナマンはこの本を読むと、ホントに
名作劇場の主人公になれるようなスコットランド・
エディンバラ出身の「インドの公衆衛生に尽力する
夫を支え、子育てをし、しかも当時の女性にしては
稀な創作、という仕事もした人」の記録が詰まって
いたりもするわけですが。

「アル中がパブを素通りできない以上に、
私は本屋を素通りするのがむずかしい」

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」p130

と普段から言ってた、って人に「悪しき本を書いた」
なんてレッテルを付けることこそ愚かしい、とは
思うので、その情熱をひたひたと持ちながら、なんとか
20年越しで「さよならサンボ」を再びツッコんでみました。