サイキックシティをみるひと その3

本作は言ってしまえば「批評家好み」の一言に尽きます。

1984年11月にリリースされた本作は、制作者の野心に満ち溢れた内容でした。超能力をゲームシステムのみならず設定に巧みに組み込み、限られた情報からプレイヤーが大きく想像を膨らませられる余地を残したストーリーは現在でも高く評価する声がネット上で見受けられます。
当時ようやく日本国内で日の目を見始めたRPGというジャンルにおいて、国内では初と言われる本格的なSFを題材にした作品としてパソコン誌ログインから評価を受け、ログイン大賞の批評家賞を受賞。
また同じくパソコン誌のBeepでも「いまオイシイのはこれだ!ベストヒット21」にて19位にランクインと、GA夢という自社ブランドを打ち出した直後のタイトルとしては上々な扱いを受けました。

しかしユーザー目線ではどうだったのでしょう。

GA夢第一作である【西部の成りあがり】はこれまた他に類を見ないアメリカ西部開拓時代をモチーフにしたRPGとして注目を受けた一方で、実際にプレイしたユーザーから「(この時代のゲームの基準で見ても)挙動が遅い」「進行が大変」という意見があったという話は、現在のインターネット上でもちらほら拾う事が出来ます。
【サイキックシティ】もご多分に漏れず、その1でも記述したとおりセーブ&ロードで分単位の時間を費やすゲームです。その上ほぼノーヒントで攻略しなければならない側面もあったため、お世辞にもユーザーフレンドリーとは言えない出来栄えでした。

難易度に関しては当時のゲームのありように「メーカーからプレイヤーへの挑戦状」というパズルの様な側面があり、難問をクリアすること自体に意義があった時代の産物なので、現代のゲームの基準に当てはめることは正しくないと思います。
しかし「難しい」と「理不尽」の垣根はゲームにおいて明確でないながらも確実に存在します。ホット・ビィの初期タイトルはこの点を読み違えている箇所が散見しており、技術的な都合で処理や挙動に難がある点がそれに拍車をかけてしまっていました。
【サイキックシティ】はその傾向が特にはっきり出たタイトルであり、雑誌ライターとユーザーとで評価の乖離が生じた形跡があります。

そして不幸なことに、技術的な問題が解消してきて様々な試みを盛り込めるようになるにつれて、この傾向は顕著になっていきます。

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このマップは【カレイドスコープ 七万光年の胞子たち】に登場する「基本世界」のナセルという場所なのですが、一見歩けるように見えるグレーの道路の様なエリアは多くが行き止まり判定で、絵と実際歩ける部分がまるで連動していません。
道路っぽいところに阻まれ、行き止まりのように見える森林地帯の歩ける一部分を探して移動しなければならず、円滑に進めるためにはこのナセルの狭いマップの為だけにマッピングを要求されます。

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しかもランダムで猫顔の男にお金を取られるというトラップまで仕掛けられています。
こうした故意に障害を増やして難易度を上げる理念が、処理の遅さを筆頭とする技術力の問題と合わさってホット・ビィのタイトル=やたら難しいというイメージがユーザー間で醸成されてしまいます。
これは意図している部分も多くある為、誤った認識とは言えません。しかし各タイトルの評価の足を引っ張ってしまっていたのも事実でした。

そうした作品群を評価したのは、数多くのゲームに触れて「尖ったセンス」を敏感に感じ取る感性を養ったパソコン誌のライター達でした。
あちこちに粗はあれども他に類を見ない着眼点が新作ゲームの最前線にいるライター達の琴線に触れて、「クセはあるが評価すべき一作」として雑誌でしばしば取り上げられました。
母体が広告代理店で、広告戦略には長けていたホット・ビィだからこそ、目の肥えた批評家にキラリと光る何かを見出させる作品群を輩出できたのかもしれません。

こうした「着想や設定は素晴らしいのに、ゲームとして遊ぶのがきつい」という傾向は、後の【星をみるひと】で最悪の形で昇華してしまいます。
いや、最悪という表現は正しくないかもしれません。ただ万人が求める形ではなかったことは間違いないでしょう。
「伝説のクソゲー」と揶揄されて久しい【星をみるひと】は、突然空から降ってきた物ではなく、多くのリリースを重ねて形成された土壌の下で「生まれるべくして生まれてしまった」と言えます。

【星をみるひと】を考察する際、超能力要素を筆頭に設定周りのあらゆる要素で【サイキックシティ】が引き合いに出されることが多いのですが、そうしたゲームとしての性質という部分でもまた、【星をみるひと】のお兄さんであることがうかがえる一作でした。

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