大毘婆沙論 (巻第一) の説くアビダルマ仏説論
問う。誰がこの〔発智論という〕アビダルマを作ったのか?答える。世尊である。どのような理由でか?一切智によって知られるべき法性は甚だ微妙であって、世尊・一切智者でなければ、誰が極めつくし、正しく悟り、教示することができるだろうか。〔問。〕もしそうであるならここでは誰が質問して誰が答えたのか?〔答。〕ある者は言う。尊者シャーリプトラが質問し、世尊が答えたのだ、と。また、ある者は言う。五百人の阿羅漢が質問し、世尊が答えたのだ、と。〔また〕このような説を作(な)すものがいる。諸々の神々が質問し、世尊が答えたのだ、と。また他のある者は言う。化作された比丘が質問し、世尊が答えたのだ、と。どのような理由でか?〔というならば、〕諸仏の法は知られるべき法性であって、諸々の世間においてまさに説示されるべく定まっている。しかるに質問する者がいないならば、その時、世尊は容姿端麗であり人々の目にとって美しく、剃髪し、袈裟を纏った比丘を化作し、彼をして質問せしめ〔るので〕、世尊は〔それに〕答えたのだ、と。『徵問義品』(arthaka-vargīya?)の因縁譚のごとし。問う。もしそうであるならこのアビダルマはどうして尊者カーティヤーヤニープトラが作ったと伝えられているのか。答える。かの尊者が〔このアビダルマを〕受持し、説法し、広く流布せしめたので、このアビダルマの〔作者の〕名前は彼に帰せられているのである。そうであるので、これは仏説である。またある者はこのように言う。このアビダルマは尊者カーティヤーヤニープトラ〔本人〕が作ったのだ、と。問う。〔汝は〕先に「一切智によって知られるべき法性は甚だ微妙であって、世尊・一切智者でなければ、誰が極めつくし、正しく悟り、教示することができるだろうか。」と言ったではないか。どうしてかの尊者がこのアビダルマを作ったと言うのか。答える。かの尊者もまた微妙にして甚深なる、大利をもたらし、善なる覚慧(bodhiprajñā)を持ち、諸法の自相(個別の特徴)と共相(普遍的な特徴)を善く知り〔仏の〕言葉の意味に隅々まで通暁し、三蔵を善く理解し、三界の汚れを離れて三明を成就し、六神通と八解脱を具えて無礙解(pratisaṃvid)を得、殊勝なる願智(praṇidhāna-jñāna)を獲得した〔からである〕。
(問誰造此論。答佛世尊。所以者何。以一切種所知法性甚深微妙。非佛世尊一切智者。誰能究竟等覺開示。若爾此中誰問誰答。或有說者。尊者舍利子問。佛世尊答。復有說者。五百阿羅漢問。佛世尊答。有作是說。諸天神問。佛世尊答。有餘師說。化苾芻問。佛世尊答。所以者何。諸佛法爾所知法性。於諸世間定應開示。然無問者。爾時世尊化作苾芻。形容端正眾所樂見。剃除鬚髮服僧伽胝。令彼請問佛世尊答。猶如徵問義品因緣。問若爾此論何故傳言。尊者迦多衍尼子造。答由彼尊者受持演說廣令流布。是故此論名稱歸彼。然是佛說。復有說者。此論即彼尊者迦多衍尼子造。問豈不前言以一切種所知法性甚深微妙。非佛世尊一切智者誰能究竟等覺開示。云何彼尊者能造此論耶。答以彼尊者亦有微妙甚深猛利善巧覺慧。善知諸法自相共相。通達文義及前後際。善解三藏離三界染成就三明。具六神通及八解脫。得無礙解。獲妙願智。曾於過去五百佛所。積修梵行發弘誓願。我於未來釋迦牟尼佛般涅槃後造阿毘達磨。故如是說。一切如來應正等覺弟子眾中。法爾皆有二大論師任持正法。若在世時如尊者舍利子。若般涅槃後如尊者迦多衍尼子。故彼尊者以願智力觀法所益而造此論。問若爾佛說阿毘達磨。何者是耶。答世尊在世於處
處方邑。為諸有情以種種論道。分別演說阿毘達磨。佛涅槃後或在世時。諸聖弟子以妙願智。隨順纂集別為部類。是故尊者迦多衍尼子佛去世後。亦以妙願智隨順纂集造發智論。謂於佛說諸論道中安立章門。摽舉略頌造別納息制總蘊名。謂集種種異相論道。制為雜蘊。集結論道制為結蘊。集智論道制為智蘊。集業論道制為業蘊。集大種論道制為大種蘊。集根論道制為根蘊。集定論道。制為定蘊。集見論道制為見蘊。猶如一切鄔拕南頌。皆是佛說。謂佛世尊於處處方邑。為種種有情隨宜宣說。佛去世後大德法救。展轉得聞隨順纂集制立品名。謂集無常頌立為無常品。乃至集梵志頌立為梵志品。此亦如是。阿毘達磨本是佛說。亦是尊者隨順纂集。又若佛說若弟子說不違法性。世尊皆許苾芻受持。故彼尊者展轉得聞。或願智力觀察纂集。為令正法久住世故制造此論。
復次諸佛出世皆說三藏。謂素怛纜。毘㮈耶。阿毘達磨。如是三藏有何差別。或有說者。無有差別。所以者何。一切佛教從一智海之所生故。隨一覺池之所出故。等力無畏所攝受故。同一大悲所等起故。復有說者。亦有差別。且名即差別。謂此名素怛纜。此名毘㮈耶。此名阿毘達磨。復次依處亦有差別。謂若依增上心論道是素怛纜。若依增上戒論道是毘㮈耶。若依增上慧論道是阿毘達磨。問於一切中一切可得。謂素怛纜中亦有依增上戒增上慧論道。毘㮈耶中亦有依增上心增上慧論道。阿毘達磨中亦有依增上心增上戒論道。如是三藏應無差別。答依增勝說。謂素怛纜中依增上心論道增勝。毘㮈耶中依增上戒論道增勝。阿毘達磨中依增上慧論道增勝。有作是說。素怛纜中依增上心論道是素怛纜。依增上戒論道即毘㮈耶。依增上慧論道即阿毘達磨。毘㮈耶中依增上戒論道是毘㮈耶。依增上心論道即素怛纜。依增上慧論道即阿毘達磨。阿毘達磨中依增上慧論道是阿毘達磨。依增上心論道即素怛纜。依增上戒論道即毘㮈耶。故由依處亦有差別。復次所顯亦有差別。謂素怛纜次第所顯。謂素怛纜中應求次第。何故世尊此品無間宣說彼品若毘㮈耶緣起所顯謂毘㮈耶中。應求緣起。世尊依何緣起制立彼彼學處。阿毘達磨性相所顯。謂阿毘達磨中應求諸法真實性相。不應求彼次第緣起。或前或後或無緣起俱無過失。復次等流亦有差別。謂素怛纜是力等流。毘㮈耶是大悲等流。阿毘達磨是無畏等流。復次所說亦有差別。謂種種雜說是素怛纜。說諸學處是毘㮈耶。分別諸法自相共相是阿毘達磨。
復次所為亦有差別。謂未種善根者令種善根故說素怛纜。已種善根者令相續成熟故說毘㮈耶。相續已成熟者令得正解脫故說阿毘達磨。
復次分位亦有差別。謂依始業位說素怛纜。依已串習位說毘㮈耶。依超作意位說阿毘達磨。
復次進趣亦有差別。謂未入正法令入正法故說素怛纜。已入正法令受持學處故說毘㮈耶。已受持學處令通達諸法真實相故說阿毘達磨。是故三藏亦有差別。)