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上座部における戯論(パパンチャ)

「渇愛、慢、見という諸々の障害(パパンチャ)が存在しないので無戯論(という)」 “Taṇhāmānadiṭṭhipapañcānaṃ abhāvena nippapañcaṃ”(相応部註)   「比丘たちよ、無漏と無漏に向かう道を私は説く。それを聞きなさい。…比丘たちよ、無戯論と無戯論に向かう道を私は説く。それを聞きなさい。」“Anāsavañca vo, bhikkhave, desessāmi anāsavagāmiñca maggaṃ…nippapañcañca v

    • 知見を具足することとは何か(スッタニパータ註 慈経部分より)

      諸々の色法を把握して、この名色分離〔智〕によって、“これは単なる諸行の集積であって、ここに敵は見出されない”と〔見る〕。このように、「悪見に近づくことなく」、順次に、出世間の戒によって「戒を具えた者」となり、出世間の戒と結びつくことによってこそ、預流道の正見と称されるものによって、「知見を具足した者」となる。

      • 聖提婆が外道を調伏した話(『大唐西域記』より)

            〔鉢邏耶伽国の〕大都市の西南、キンコウボク(Campaka)の林の中にストゥーパがある。アショーカ王が建てたものである。基礎は傾いているが、百余尺ほど〔地中に〕埋まっている。かつて〔釈迦牟尼〕如来がここで外道を降伏したのである。そのそばに〔如来の〕頭髪と爪〔を収めた〕ストゥーパがあり、〔如来が〕経行した遺跡がある。頭髪と爪のストゥーパのそばに元僧院がある。これは提婆菩薩が『広百論』を述作して小乗を挫き、外道を打倒した場所である。最初に、提婆菩薩は南インドからこの僧

        • 五百頭の子牛を放生して男身を得た女官の因縁(『雑宝蔵経』より)

            昔ガンダーラ国に1人の屠殺人がいて、五百頭の小牛を連れていた。その時、後宮の女官がいて、金銭を支払って小牛たちを買い取り、放生して去らせた。この因縁によって、その女官は現法のこの身で〔変成して〕男根(purṣa-indriya)を具足して〔男性となった〕(=変成男子)。王の後宮に帰還すると、〔男の身では後宮に入れないので、〕人を遣わして、王に告げさせた、「私何某は外にございます」と。王は〔使い人に〕言った、「これは我が後宮の人間ではないか。この者は自由に行き来してよいの

        • 上座部における戯論(パパンチャ)

        • 知見を具足することとは何か(スッタニパータ註 慈経部分より)

        • 聖提婆が外道を調伏した話(『大唐西域記』より)

        • 五百頭の子牛を放生して男身を得た女官の因縁(『雑宝蔵経』より)

          正しい帰依による離悪趣(『クッダカパータ註』より)

              このように言われている──。   「誰であれ、仏に帰依する人は悪趣に行くことはない; 人の身体を捨てて、天の身体を満たすであろう」と。   しかして此処では、「随煩悩を正断する帰依によって帰依をなした人、彼らは悪処に行くことはない。〔随煩悩を正断する浄信を伴った〕帰依によって、彼らは〔天界とは〕別の処に行くことはないであろう」と、このように、詩偈の意図が知られるべきである。   ----------------- 参考:『長阿含経』より 時,一淨

          正しい帰依による離悪趣(『クッダカパータ註』より)

          説一切有部における慢

          *卑下慢 『倶舎論』: bahvantaraviśiṣṭād alpāntarahīno ’smi ity ūnamānaḥ/ 「多量に優れたるものから〔比べると〕、私は少量に劣ったものである」というのが卑下慢である。   ches khyad par du 'phags pa bas bdag cung zad cig gis dman no snyam pa ni cung zad snyam pa'i nga rgyal lo/ 「非常に優れた人より私は少し劣

          説一切有部における慢

          説一切有部における九結

          1. 随貪(anunaya) 2. 瞋恚(pratigha) 3. 慢(māna) 4. 無明(avidyā) 5. 見(dṛṣṭi) 6. 把持(parāmarśa) 7. 疑(vicikitsā) 8. 嫉(īrṣyā) 9. 慳(mātsarya)   『集異門足論』: (九結者云何爲九。答一愛結。二恚結。三慢結。四無明結。五見結。六取結。七疑結。八嫉結。九慳結。)   『雑阿含経』: (舍利弗言。結者九結。謂愛結。恚結。慢結。無明結。見結。

          説一切有部における九結

          Vism大復注釈書における縁起に関する邪見批判

            「法を」とは「縁起についての聖典を」ということである。「義を」とは「この義を」ということである。因やもろもろの因の果、この、ここに因であるものが「法」であり、この、ここに因の果であるものが、「義」である。「法を」とは、あるいは「法性を」である。 しかして、一部の者たちは「如来が出現していても、如来が出現していなくても、その界は確立している。」という経典の言葉を誤って捉えて、「縁起は常住である。」として、縁ることを相とする法を誤って説明するが、そのように説明することなく

          Vism大復注釈書における縁起に関する邪見批判

          ネッティ(Nettippakaraṇa)で言及される有の支分(bhavaṅga)

           12. 近入という除痴についての解説 42. ここに、近入という除痴とは何でしょうか?〔答えて曰く、〕「縁起であるものです」と。〔世尊は『ウダーナ』でこのように説かれました、〕「上下の一切処に解脱した人、かれは『私は存在する』とは随観しません;このように解脱者は激流を越えて、再生なきことについて後戻りしないのです」と。 「上」とは色界と無色界です。「下」とは欲界です。「一切処に解脱した人」とは三界において〔解脱した人〕です。これは無学人の解脱です。これらは実に無学人の五

          ネッティ(Nettippakaraṇa)で言及される有の支分(bhavaṅga)

          大毘婆沙論 (巻第一) の説くアビダルマ仏説論

          問う。誰がこの〔発智論という〕アビダルマを作ったのか?答える。世尊である。どのような理由でか?一切智によって知られるべき法性は甚だ微妙であって、世尊・一切智者でなければ、誰が極めつくし、正しく悟り、教示することができるだろうか。〔問。〕もしそうであるならここでは誰が質問して誰が答えたのか?〔答。〕ある者は言う。尊者シャーリプトラが質問し、世尊が答えたのだ、と。また、ある者は言う。五百人の阿羅漢が質問し、世尊が答えたのだ、と。〔また〕このような説を作(な)すものがいる。諸々の神

          大毘婆沙論 (巻第一) の説くアビダルマ仏説論

          『般若心経』 釈提婆(シャーキャデーヴァ) 註

          般若波羅蜜多心經者。乃是真理之玄宗。法身之名稱。其體則不生不滅。不去不來。量等虗空。曾無變改。廣乃普周法界。無物不容。狹即芥子微塵。未足為喻。顯即參羅萬像。隱即無色無名。生死苦樂輪遷。本性軸元不動。四生三有。大聖共稟無差。此城他邦。凡愚自舛。是知性湊則三際不易。識濁則今古相催。業雜乃感果不同。何關本性有異。斯乃世徒乏志。不自修行。斷信續疑。放情散逸。所以輪迴六趣。受報無窮。苦樂交番。何曾蹔止。是故上界仁慈。不悲含識。廣演言教。無事無為。接引溺群。令登已岸。今即世徒緣逼。無暇遍

          『般若心経』 釈提婆(シャーキャデーヴァ) 註

          四つの人施設 (プッガラパンニャッティ)

          4. 四組の補特伽羅の施設 不善士たる補特伽羅(人)とは何でしょうか?ここにある人が生けるものを殺し、与えられていないものを取り、愛欲邪行をなし、嘘をつき、スラー酒、メーラヤ酒など酔わせるものであり、放逸の原因となるものを摂取します。これが不善士たる補特伽羅と言われます。 不善士の中にも不善士たる補特伽羅とは何でしょうか?ここにある人は、自ら生けるものを殺し、さらに生けるものを殺すように〔他人に〕勧め、自ら与えられていないものを取り、さらに与えられていないものを取るように

          四つの人施設 (プッガラパンニャッティ)

          五戒経 (相応部経典)

          10. Pañcasīlasuttaṃ 303. ‘‘Pañcahi, anuruddha, dhammehi samannāgato mātugāmo kāyassa bhedā paraṃ maraṇā sugatiṃ saggaṃ lokaṃ upapajjati. Katamehi pañcahi? Pāṇātipātā paṭivirato ca hoti, adinnādānā paṭivirato ca hoti, kāmesumicchācārā paṭiv

          五戒経 (相応部経典)

          『小本 般若心經』 Shorter Heart Sutra (Ziogon's copy)

          prajñāpāramitā hṛdaya sūtra (Ziogon's copy) 淨嚴寫本 『般若心經』 Namas sarvajñāya Āryāvalokiteśvara vodhisatvo gambhīraṃ prajñāpāramitāyāṃ caryāṃ caramāno vyāvalokayati sma pañcaskandhās tāś ca svabhāvaśūnyaṃ pasyati sma iha Śāriputra rūpaṃ śūny

          『小本 般若心經』 Shorter Heart Sutra (Ziogon's copy)