Lesson35 一方的なコミュニケーションなら、こけしと話せばいいじゃない
コミュニケーションは双方向。
相手がいることだから、思い通りにならないことはあります。
そんな当たり前のことに対しての自分のスタンスに気づいた、という話です。
やはり特性なのでしょうかね?
それとも育った環境でしょうか?
人には、「話したいこと」があって
その主張を一方的に聞いてもらって、承認してもらうのが一番気持ちいいんじゃないかって、
今でも思っています。
でも、人と話すとそういうわけにいかないですよね。
話したいことがあるのに、途中で関係ない話にすり替わったり、話を取られたり
質問をきっかけに脇道にそれたりして
言いたいこと言えないこと、ありますよね。
そうするとストレス溜まるじゃないですか。
話し始めたのに、途中で終わって、誤解されたまま戻ってこれないこともあるし。
だから、他の人が話したいときには、ただただ聞いてあげるんです。
興味あるふりをして。
なのに、それをしてくれる人は少ない。
そうなると、聞くメインの人間にとっては、コミュニケーションって楽しくないんです。
相手ばっかり気持ちよくて、こっちはフラストレーションが溜まる。
コミュニケーションは不公平です。
会話の支配率が、勝ち負けみたいになります。
はい。ここですね。
私の特性が出てるところ、思考の偏りがあるところ。
最初にコミュニケーションは双方向だと書きました。
つまり、相手ありき。
話し始めたことが終わりまでいかないなんて当たり前で、聞いてもらえなかったり、言いたいことが言えないなんて、最初から分かりきってることじゃないですか。
無い物ねだりじゃないですか。
つまり、相手だってそんなことはよく分かってて、
頑張ってじっくり聞いてあげなくたっていいんです。
適当に流したり話を取ったりしてもいいんです。
だって会話は生き物なんだから、コントロールなんてできないのだよ。
一方的に話すなら、こけしに話せばいいじゃない。
でも人に話したいんでしょ?
そしたら予定通りに行かないなんて、折り紙付きなんです。
こんな当たり前のことに、今日気づきましたよ。
それと同時に、私が書くことが好きな理由も分かりました。
書くことは一方的なコミュニケーションですもんね。
自分の言いたいことだけ書いて、マスターベイションと同じです。
邪魔されなくて、気持ちよくて。
自分の思っていることを思っている通りに相手に伝えるなんて、
無い物ねだりで無理なこと。でも、無理なことだから気持ちいい。
だから、飲み屋でおじさんが若者に説教とかしてたんです。
相手に確認したら、論点が変わっちゃうじゃないですか。
相手がどう思うかなんて、邪魔でしかないんです。
でも、それはコミュニケーションではない。
相手の反応によって、どんどん変化するのがコミュニケーションです。
予定不調和。
それを楽しむことがコミュニケーションならば、小難しく考える必要はないのです。
苦手分野かもしれないけれど、案外楽になれそうです。