聴覚障害者にとって幸せとは?
聴覚障害者にとって、幸せって何だろう?
「あなたにとって、幸せって何ですか?」
周りの聴覚障害者に尋ねると、「恋人がいる事」「結婚する事」「金持ちになる事」など普通の人と同じような答えばかり。
「じゃあ、聴覚障害者にとって、幸せって何ですか?」と尋ねると皆一様に考え込んでしまう。
何故なのだろう?
ずっと見てきて、ずっと考えてきた。
『普通の人と同じように耳がきこえる事 = 幸せ 』だと思っていたがどうも違うようだ。
聴覚障害には色々な種類がある。詳しくは調べてもらえれば解るが、一般の人が思っている以上には多い。
なので、聴覚障害の数だけ望む幸せがあると考える。
しかし。
こう思う。
では、聴覚障害者にとって不幸せな事は何か?
当然の事ながら聴覚に障害がある事だ。
周りが盛り上がっている時に内容が解らず、どういう表情をすればいいのかも判らない。
こういった現実の繰り返し。
しかし、真の意味での不幸せとは、いざという時に自分や他の人を守る事が出来ないという事だと私は思うのだ。
後ろから危険が迫った時だったり、どこからかの助けてという声だった場合、耳が普通の人と同じ様に聞こえていたら助かっていたかもしれない。
極論かもしれないが、そういう事なのだ。
そう思うと、やはり耳が普通の人と同じ様にきこえる事は一番の幸せなのではないかと思う。
何だ!じゃあ、聴覚障害者は幸せになれないんだ!と言うことなかれ。
聴覚障害者の幸せ=「普通の人と同じ様に耳が聞こえる」と思っていないのが多数派という前提で、考えてみよう。
おそらく大多数は聴覚障害を無意識のうちに受け入れ、当たり前の事に不満を言い、要望も言うだろう。
こういう事と考える。
・耳が普通の人と同じ様にきこえるようには絶対になれないと無意識のうちに諦めてしまっている。
・普通にきこえる人のほとんどが聴覚障害者に慣れず、どのように対応すればいいか判らないのが普通なのに不満を言う。
・障害者の中でも聴覚障害者の割合は少ないのに、全ての人に対応して貰おうと要望を出す。
こう思う人が多いのではないだろうか。
改めてどうすればいいか考えてはどうだろう?
「漢字が読めない」「喋れない」「私は馬鹿」
と手話る人を見かける。
大抵の場合、自分でそう思ってしまっているから、そこから変えるのは難しいのがほとんどだろう。
何故そうなってしまったのか?
それはおそらくその人の生まれ育った環境のせいだろう。
誰も教えてくれない、注意してくれない、見本がいない…など様々な要因がある。
一番大事な事は、「自分で気づくこと」だと思う。
疑問を持ち、考え、行動する。いわゆる自我を持つというのは自力で獲得するしかない。
ただ、環境の中で獲得するのを早める事は可能かもしれない。しかし、皆が同じように獲得出来るかは疑問である。人それぞれだと思うからだ。
もし、子供の頃から獲得するのを早める手助けをする事が出来たら…?と考えています。
※自身のAmebaブログで2017年の5連続投稿記事をまとめたもの。