夢百夜 ~第一夜 古本屋にて~

こんな夢を見た。

古い、本当に古い本屋を見つけて、なんとなく中に入ってみた。
天井の端の、小さな吊り天井に小型テレビが置かれ、そこに上岡龍太郎がインタビューに答える姿が映っていた。
『上岡さんの好きな本は?』
そう尋ねられると、彼は「雪嶋律子さんの『胎児』です。」ときっぱり答えて、インタビュアーを驚かせた。
そして、続けて答えた。
「雪嶋律子さんが好きなんですけど、そうですね、やっぱり『胎児』が特に好きだな。彼女といえばあの作品、なんて所がありますもんね。」と言って軽く笑った。
私が視線を落とすと、そこにはそこら中が傷んで黄ばんでいる『胎児』が平置きされていた。
なんとなく、手にとって表紙を眺めた。
髪の長い女性が、目を閉じて静かに自身の腹部に手を当てている。そして彼女の腹部は透過して描かれ、中の、へその緒の繋がった胎児が、少し大きさを誇張して描かれていた。
私はこの作品も、雪嶋律子という作家も知らなかった。
けれど、亡くなってから50年経ってもなお、その洞察力の鋭さへの評価が高い上岡龍太郎さんが、あんなに手放しに誉めていた作品に興味を抱いた。
カウンターへと足を進めたが、私の居る、本が陳列されている側よりもかなり高い所にカウンターが設計されており、そこに『胎児』を置くためには背伸びをする必要があった。
「50円だよ。」
店主は薄く、少し気味の悪い笑みを浮かべて言った。
私は50円玉を手渡そうとしたが、店主は笑みを浮かべたまま動かないため、私は背伸びして手を伸ばしたまま固まってしまった。
すると隣から、深くシワが刻まれ、腰も曲がっているが、どこか活気を感じさせるお婆さんがカウンターに近付き、「一つください。」と言った。
「はい。」
店主は返事をして、私から50円を受け取ると、虚空に向けていた視線をサッと私に向けて、言った。
「どうぞ。」
私は初め意味が分からなかった。しかし、隣に居るお婆さんが、店主と目を合わせている自分と『胎児』を、強く睨んでいるのを肌で感じた。
思考する余裕もなく、私は『胎児』をお婆さんに差し出した。お婆さんはそれを受け取り、代わりに私に60円渡した。
「ありがとうございました。」店主が薄気味の悪い笑顔を崩さず言った。
そういうことか。
私は今起きた事の表面を理解した。
つまり私は10円得をすることができ、お婆さんは私が買おうとした本を購入することができ、店主はお婆さんの意図に沿った行動を取ってあげれたというわけだ。
奇妙な心地を抱いたまま、私は店を出て、お婆さんが去っていくのとは逆方向に進みだした。
すると、しゃんっ、という音がした。
私は芸者が瞬間移動した音だとすぐ分かった。
続けて誰かが殴られる音がし、視界の右上に見えていたお婆さんのアイコンが黄色くなったため、お婆さんが瞬間移動で近づいてきた芸者に殴られたのだと理解した。
あんな只者じゃない雰囲気を醸し出していたお婆さんが、あっさり芸者に殴られてしまったという事実が、少し間抜けで笑ってしまった。
殴られたお婆さんを少し心配したが、このアプリをインストールしているぐらいだし大丈夫かと思い、私はまた歩きだした。