私、傲慢な人間でした。
自分の心を使いこなす。
そんな話を前回書きました。
私がここペルーでもがきまくって苦しかった日々の中で気づいたいろんなことが、心を使いこなす方法やったんです。
その使いこなすために、まず一番大事やと私が思うのはこれ!
誰よりも自分が自分を大切にして味方になってあげること。
これ、本当に大事やなって思うんです。
自分の味方になって自分を大切にしてあげることで心の安定が生まれました。
まず、人間関係より自分関係をよくしよう!そういう事なんです。
がこれ、日本におるときにカラーセラピストを初めてからずっとテーマにしていたことでもあったんですね。
けど、それをうまく伝えれなかったしどうやっていけばいいかが分からなかった。
ふわふわした感じで上っ面な感じで、自分自身でもそうは思っても自分関係をしっかりと築くことができてなかった。
なぜできへんかったか?その理由が分かったんです。それを今日はシェアします。
ズバリ!!!
自分のあかんところを認めてなかったから。そうじゃない!私はそうじゃない!!と、私はそういう自分じゃないんだ!とそういう自分であることを否定していたから。
自分自身に向き合い続けてたある日、ハッと気づいたんですよね。
あれ…あれれ…?私って傲慢な人間やん。私って頑固で我が強くて、自分の考えに固執してるやん、人の意見を受け入れるキャパなかったやん。ちっちゃい人間やん。否定的にものを見てるやん。うわ、ちっちゃ。めっちゃちっちゃ!!
自分のそれを全部認めた瞬間のこと、今でも覚えてます。笑
同時に、これまでそういう自分を感じた時に必死で全否定していた自分にも気づきました。笑
なぜ否定してたかの理由ははっきりと自覚してます。それは、自分が嫌だと思う人間像がそれやったからです。あちゃ!
そういう自分なんやと気づいたとき、サーッと血の気が引くような、頭をガツンと殴られたような、穴に入りたいようないろんな感情や体への衝撃などが走りました。笑
けど、今度は「違う」と否定せずに受け入れることにした。
受け入れた時に、自分にこう言いました。
でもな、人間は未熟やんか。
未熟やから人間やってるんよ。
素晴らしい欠陥のない神様みたいな人やったらとっくに神様の場所におる。
人間やから未熟で当然なんよ、生きてるって未熟ってことなんよ。
だからこういうあかんなと思うところがあっても当然なんよ。
だから、自分を否定する必要はないのよ。
大事なんは、それを認めてそういう自分も「それでも私の価値は下がらない」って抱きしめて、そういう自分じゃない望む自分に成長することなんよ。
自分を否定しない。
そういう自分もそれでいい。
でも、それが故に生き辛かったのなら、軽やかに生きれるようにそういう部分を意識して変えていけばいい。
そういう生き方しかできなかった自分を許してあげる、認めてあげる、抱きしめてあげる。
それがめっちゃ大事なんやと思います。
そしてもちろん、えぇとこもいっぱいあるからそれも素直に受け入れる。
良いところもあかんなと思うところも、どっちも全部かけがえのない大切な自分の一部なんやもん。
そやけど、私、もっと広く受け止めてたつもりやったのになぁ。
メッチャ自分の意見に縛られてたなぁ。色々と振り返るとそう思うことが多々あるんですよね。ハハハ・・・と笑ってごまかしておこう。笑
こうやって自分の観たくない自分のこと認めたら、受け入れたら、そしてそれでもいいんだよって抱きしめてあげたら、本当に心が軽くなりました。
心が軽くなった後にもまたまた傲慢が顔を出したら、傲慢出てるよ私、気を付けようねっていうて優しく自分に教えてあげます。
急には変わらんのやから、時間をかけて自分が嫌やと思う部分は変えていけばいいし、自分の良いところに置き換えていけばいい。
そう思ってます。
こうやって自分を受け止め受け入れ大好きになって、大事に大事にしてあげることが、自分の心を使いこなすための余白を心に作ってくれるし、余裕が出てくる大事なポイントやと思っています。
えぇやん、人間やもん、あかんとことがあって当然よ。