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心穏やかに生きるためのカギに出会って・・・

自分の認めたくない自分に気付いて、それ全部認めたことは

ずっと抱えてた生き辛さがなんやったんか?

その答えにたどり着くためのカギやった。

カギを開けたら、心穏やかに過ごしていける世界が見えてきた。

<どういう事?>

自分が認めたくない私の姿って、我が強くて傲慢やったわけです。

我が強くて傲慢な人ってどんなイメージ有ります?

自分の意見が正しいと思ってるし曲げない、折れない、人の話を聞かない

そんなイメージないですか?

そういうのって一言でいえば、自分の考えや意見に執着してるってこと。

執着してるってことは、まぁちょっとやそっとじゃ手放さん。

更に私の場合は厄介なことに、無意識に自分は我が強くて傲慢な人間じゃないって思いこもうとしてるから、物分かりがいい人を無意識に演じてた。

そんなんやから、自分の姿に一向に気づくことなく半世紀生きてきてしまった。あらまぁ。

<バレてるから>

ほんまは我が強いから、いい人を演じてても我の強さは余すところなく発揮されてて、それがちゃんと表に出てる。笑

そんでそれ、周りの人にはしっかり見えてる。

気付いてないの、私だけ。笑

まるで裸の王様の様。

いや、王様でもないからただの裸の頭の悪い人。あちゃ~

どう思いますか?
こんな人が人間関係円滑に進むと思います?

無理に決まってるやーん!

どんなに取り繕ってもあかんわな😅

残念な人やったんです。

けど、気付いて認めて受けいれたことで、変わりだしました。
やっぱ気づくって大事!

<認めたら手放せばいい>

とはいえ、そういう自分にはたと気付いて凹んでたら前へは進めへんわけで、、、。
気付きがマイナスに働くのは避けたいわけで。

じゃぁどうする?っていうたら、そんな自分を責めずに否定せずに、それも自分の一部なんやって受け入れて認めることにした。そんな一面もあるって。

だって人間完璧な人なんておらん、いろんな面があって一人の人間ができてるんやもん。

けどさ、そんな自分を生き辛くしていた自分でこのままずっと生きていくのか?と言うと、それは嫌なわけ。
じゃぁどうするのか?って考えた時

執着を手放していけばいいんや

って思った。

我が出た時、傲慢さが出た時、「あ、またやってる」って気づいてやめとこっていうてやめる。手放す。

何十年もそうやって生きてきて急に変わることはないから、そこが出た時に対処していけばいい。

それを意識してるうちに少しずつ流せるようになるし、そうこうしてるうちにまた新しいことに気付いて、どんどん自分が生きづらさの渦の中から平穏なあったかい風が吹く心地良い場所へと移っていけた。

<思うこと>

認めたくなかった自分の姿って、別に悪いことじゃないんやな。

誰だっていろんな面がある。
いいとこもあればそうじゃないとこもある。
自分で嫌やなぁって思う所があっても、人から見たら素敵やなって思ってもらってることもある。
得意なことがあれば苦手なこともある。

そやのに自分の嫌な、認めたくない一点を隠そうとして自分を取り繕ったり、認めず受け入れずにおることで自分を苦しめてたんやな。

さっさと認めておけば、自分自身をもっと受け入れておけば、自分も楽に生きてこれたし人間関係ももっとスムーズやったやろうな。

自分の全部を認めてあげることって、自分を救うことなんやなぁ。



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