自分の心使えてる?モラハラやパワハラを受け取らない自分になりたい

子供のころ、お箸の使い方も自転車の乗り方も練習したのに、なんで心の使い方の練習はしやんだんやろう?
心ってずっとずっと、生きてる間中付き合うものやのに。

お箸は日本で生きるには使えた方がいい、でも、使えなくてもフォークやスプーンがあるし、手でも食べれるし、手が使えなかったら口で直接食べることもできる。

自転車乗れなかったら困ることはある。
私は中学高校と自転車通学やった。もし乗れなかったら中学の時なら徒歩で40分以上、高校やったら自転車で30分以内やったけど徒歩なら一時間半以上かかったやろうし、電車とバス乗り継いでもそれ以上かかった。

だから自転車は乗れた方が良かった。でも、乗れなくても他の方法があった、

けどさ、心って、一生本当に欠かせずに使うもの、付き合うもの。
それやのに、練習したことって、、、ある?

ふとそう思った。
それは私がペルーで「パートナーとその家族 対 私」という圧倒的に不利な状況の中でメンタルがおかしくなって、でも絶対抜け出す!って覚悟を持って自分と向き合って、メンタルがぐちゃぐちゃな中相変わらずいろんな問題が起こって・・・。
そんな中で得た様々な気付きと、自分を安定させるためには自分の中で整理できる仕組みが必要なんやなって気づいたから。

その仕組みって日本で生活してた時には考えることもなかった。
なぜなら、人間関係の問題で苦しんでても日々に追われ、嫌っていう思いと働かな生きていけへんから我慢するしかないっていう気持ちとの葛藤で、整理する暇もなかったから。

ペルーへきて、たった一人の救いになるはずやったパートナーさえ、家族の言い分しか聞かず、私が離そうとすると聞きたくないと怒鳴り一方的な目線しか持たなかった。
孤独ってこういう事なんやなって、身に染みて思った。
おかしくなっていく自分にふと気づいたとき、何とかせなあかんって思った。

日本におったときは時間に追われてたけど、ラッキーなことに時間がたっぷりあった。だから自分と向き合って、何が問題でどうしたらいいのか?を見つけようと思った。

その時からパートナーに何を言われようが、自分と向き合うためのことをした。そうしている中で、一番心が壊れそうになった出来事がある。

それは、首絞められた事件。

あまりのパートナーの愚行の日々、母親からの電話では嘘ばかり。私は、それが嘘だと真実を話したら、母親が泣きだした。
その瞬間、パートナーは「おかんを泣かせやがって!」と私に馬乗りになって首を絞めた。

愛した人が私を殺そうとする目を見ながら「あぁ死ぬんやな」と思った。私は恐怖も何もなかった。ただ、その目を見てた。

心が壊れるとそうなるんやね。振り返るとそう思う。

この出来事は一生忘れない、忘れたくても消えないんやろうと思う。
そんなこともありながられでも自分と向き合い続けた。
日本では気付かなかったアル中でろくに働かないパートナー。(私の前ではうまく取り繕っていたからわからなかった。私があほね(笑)
生活も極貧。食べることもままならなかった。

でも、必死で生きてたらいいことってある。
ちょうど私が向き合ってきたことから気付いたことで心を整理できるようになった時、私に朗報をくれた同じくペルー在住の日本人女性がいて、そこから仕事ができるようになった。
移住して四年半たった時だった。

そこからやっと、やっと、苦しい生活を抜け出した。

今やっと、人並みの生活ができてる。
そして、パートナーは何も変わらないので相変わらず問題やいら立ちは変わらないけど、同じ環境や状況の中やけどあの頃を思えばものすごく心が安定している。
自分のメンタルの動きも把握しながら自分の心を動かせるようになった。

初めの言葉に戻るけど、なんで心の使い方は子供のころから学ばへんのやろう?自分の心の使い方を知ってたら、自分とは違う価値観やモラハラやパワハラをする人に出会っても、巻き込まれずに過ごせるのになって思うのですよ。

パートナーとその家族のモラハラに巻き込まれた私は、被害に遭ったというよりも、自分がそこに巻き込まれに行ったんやなって思うんです。

なぜか?それはモラハラ言動や行動を受け取ってしまったから。そして、そのモラによって自分が悪いのかなって自分を責めるという思考になったという相手の思うつぼに陥ってしまったから。
そのことで、自分が苦しんだから。

自分で自分の心を使えていたら、巻き込まに行かず、気楽に穏やかに過ごせていたと思う。

日本でパワハラを受けてた時も同じやったんやなと思う。
自分が受け取ってたからなんやなって、
だから、受け取らない、自分の心を使う方法を実践してそれをシェアしていきたいと思っています。

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