執着と愛。
溺愛しているのよ。
愛犬TORO様。
今日は私と愛犬TOROの話。
執着と愛の話をしてみよう♪
私がペルーへ来て誰も知り合いがおらん中、唯一の味方であると信じてたパートナーさえもあっさりと私よりも自分の家族の味方をして、ポツンと孤独になった。
苦しくてつらくてさみしくて、絶望の真っ暗闇の日々を過ごしてた。
幸せに楽しく過ごせると思てたのは幻で、雲に乗って幻を信じてただけやった現実はあまりにも残酷やった。
そんな中でさ。
日本から連れてきた、パートナーが飼っていたワンコだけが心のよりどころやったんよな。
でも、TOROのところで一緒におると
犬とべったりおるのはおかしい、
またTOROのところにおる!
と否定されるという、今思えば
「は?!私がどこで何してようと、犬と一緒におろうとあなたたちの人生に何の問題が起こるの?むしろ、日本からやってきて、(パートナーは私より一か月後に帰国)寂しいからよりどころにしてて何が悪い?」
って話なんやけど、TOROのそばにおる私を人格否定するようなことを言われ。
いや、あの時も思ってたけど言語化できへんかったから言えずに悶々としていたのね。
<あまりの孤独に...⋗
そんなこんな中、ストレスがたまる。まだ日本におったパートナーに話すが、我慢してってしか言わない。
そしてパートナーが来る前に問題が起こった。
パートナー家族と私の仲たがい
その数日後やっと帰国したパートナー。
日本におった時とは180度変わって、私を虫けら扱いするようになった。
私の言い分は一切聞かず、「聞きたくない!黙れ!!」と家族の味方をし続ける。
私がなぜ家族と仲たがいしたのか?そこには私の言い分もあって、原因があるから結果がある。
でも、それをどんなに話しても聞きたくないの一点張りで、追い詰められた。
そして、危ないから出かけるなと言うて、まだ家具も何もない真っ白な壁の部屋の中に私を残して朝から夜中まで帰ってこず、飲み歩いていた。
そりゃメンタルおかしくなるやん?
<色のない世界で>
日本でカラーセラピストを細々としていた私。
色彩心理について学んでいた。
空間における色彩の効果
ってのも学んでた。
人は色がない中にずっとおるとおかしくなるのよ。
色があるから心が豊かにおれるんやな。
想像してみると少しわかるかも。
白い壁に囲まれて色のない部屋に一日中おったら?
それは何も刺激がない中におるってこと。
人間は刺激によって何かを思い感じ、生きているわけで。
それが何も刺激なかったらおかしくなるって。
ただでさえ、地球の反対側で味方が誰もおらんストレスで一杯やのに、そんな空間に放置されたらどうなるか?
そりゃもうメンタルおかしくなって当然!
話それるけど、もし心が疲れていたら、色で癒されるのも一つの心のケアの方法ですよ♪
<TOROがいたから>
そんなおかしくなってく中、屋上から飛び降りるっていう衝動にかられたときがあった。
もう終わらせよう
って頭によぎって体が動こうとした。
その時、
あんたがおらんくなったら、だれがTOROの面倒見るの?
って声が聞こえた。
見えへん誰かが私に言うたんよな。
前に書いた、死別の彼が私の名前を呼んでくれたことで、大事故に巻きもまれずに済んだという不思議な話のように。
TOROを守るって決めたのに、パートナーは日本でもTOROをほぼ誰も来ない場所に放置してたから分離不安になってて、はじめてTOROに出会ったとき「帰らないで」って訴えた声が私の心を射抜いて、絶対この子を守ろうって決めたのに、私がTOROを置いて死んでしまったらTOROどうなるの?
って、飛び降りる気持ちがワッとわいたのがスゥッと消えて、当時屋上におったTOROの素へ行き、抱きしめて泣いた。
TOROは私の命の恩人。
そこから私はTOROの為になら頑張ってこれた。
TOROを守ってきた。
犬は殴って教えなわからんと言うて、暴力をふるうパートナー。
蹴ったり殴ったりすると、TOROに覆いかぶさって抱きしめて
「蹴りたいなら私を蹴りな!!」
っていうて来た。
TOROが痛い思いをするなら私が蹴られればいい。殴られればいいって本気で思ってた。
TOROが私を救ってくれるから、私はTOROを守る。
<あれから五年>
そんな風に過ごして、TOROは少しずつ私のことを信頼してくれるようになったかな?
ちなみに、パートナーの前の飼い主が彼の元へ捨てて行ったので、TOROはずっと寂しい思いをしてきた。
やから、多分人間通っても本当の安心感はなかったんやろうと思う、
けど、私がTOROを守り続けてたから、TOROは私を信頼してくれるようになったんやろうなって思う。
今やTOROと私はニコイチ。
<執着>
愛と執着は違う。
私はTOROを愛しているの?執着してるの?
愛してる、それは間違いない。でも同時に執着してるんやと思う。
だから病気がちなTOROを喪うのが怖くて怖くて仕方がない。
過去の死別経験もあるから、そうなったら自分がどうなるのか?あの時よりももっとひどい状態になるんじゃないかって思う。
けど、やっぱそう思うのって執着なんやろうなって思う。
執着の愛は多分愛を受ける方は穏やかに受け止めれへんのじゃないかと思う。
ただ安心して穏やかに過ごせるのは、ただ愛だけを感じることなんじゃないかな。
執着は相手を苦しめるのかもしれへん。
執着は手放した方がいい。
だから、今、執着でなく愛だけにしようと思って日々過ごしてる。
TOROが私の愛に包まれて穏やかに平穏に過ごせるように。
そんで、いつか別れがやってきたとき、いなくなるんじゃなくて宇宙になって私を今よりもそばで包み込んでくれてるって、そう思えるように。
TOROのためにも私のためにも。
執着と愛は違う。
ホンマの愛でTOROを慈しむことが、TOROも私もきっと幸せなんやんな。