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言葉を諦めない
小林大吾さんの過去作がサブスク解禁になりました。めでたいめでたい。
「腐草為蛍」という一編が好きです。いやどの作品も好きなんだけど、折にふれて思い出すという意味で。とくに、ひとが亡くなったときに頭をよぎる。それも身近なひとではなく、こちらが一方的に知ってるだけの遠くの誰かが自ら命を絶ったと知らされたときに。
タイトルの漢字四文字は「くされたるくさほたるとなる」と読む。古来より日本で季節を示すのに使われてきた七十二候のひとつで、グレゴリオ暦でいうところの6月10日前後。昔の人は夏の夜にふわふわりと水辺を飛び交う明かりの正体を虫とは知らなかったので、「あれは腐って死んだ草が生まれ変わった姿だ」と解釈していたらしい。現代の私たちからすれば迷信だけど、当時の常識とされていたことが滅びずに伝わっているのは面白いなぁと思う。
後半に出てくる、
蚊遣り火の消えた部屋で黒い服を折りたたむ 腐草為蛍頃
この一節がおそろしく美しい。
それまでの流れで語り手がある種の喪失感を味わっていることが窺えるなか、“黒い服”というモチーフでそれに確信めいたものを得ることになる。その手前の“蚊遣り火”は(蚊取り線香のことね)おそらく弔問客のために焚いていたのではないかと推察できる。客人たちが帰り、後片付けをしていると、それまで忙しさにまぎれて忘れていた物哀しさがふともたげてしまったのではないか。そして蚊遣り火が消えた、ということは虫たちが窓辺に寄ってこられるようになり、不意にあらわれた蛍の姿に亡くした人の魂を重ねて偲ぶ様子が描かれているように思える。
この解釈があってるかどうかはともかく、これだけの情景をたった25文字で思い描かせる語彙と行間のゆたかさにくらくらする。
言葉は生きてるひとのためにあるものだと思ってる。もちろん亡くなったひとに話しかけることもあるけど、基本的に同じ世にいないと疎通はできない。それが言葉の世界のルールなので。まあ言葉が通じるからって気持ちが伝わってるとは必ずしも限らないんだけど。
でも伝えようとすることは諦めないほうがいいと思う。「言わなくても伝わってると思った」とか、「あのひとなら大丈夫だと思った」とか、寒々しい台詞をなるべく口にしないで済むように。言葉を大事にするのは、ひとを大事にすることだと思うから。