いくらのよしは
音楽流通業界で働いてて考えた、仕事とお金と音楽のあれこれ。
DOKKOISE HOUSEの1stアルバム「FLOATING HOUSE」発売を記念して、ライナーノーツを書きました。元メンバー兼ホーンアレンジャー兼サポートプレーヤー兼ファン。。。という特殊な立場で見つめた、至近距離からの制作観察記録です。3/4の発売まで毎日1曲ずつ更新。
隠れ家みたいな家に引越してきました。新生活が落ち着くまで、あるいは飽きるまで、日々の様子を書いてみます。
「とりとめも」はnoteを離脱します。 今後は上記リンク先へお越し下さいませ。
「体調を崩しやすい時期にさしかかる」ってしいたけ占いでも予報されてたけどさ。まんまと具合わるくしました。 とにかく寒いままにしとくのはダメということがこの齢になってようやく解った。眠れないときは貧血かもしれないし、食欲がないときはたぶん水分が足りてない。経験則からだいたい対処法はわかる。わかるけどもそれはそれとして具合わるい間はつらい。 喉が痛い日が2〜3日続いて、銀翹散を買いにいった。その帰りに駅前の八百屋でかりんを見かけて、シロップを作ることにした。かりんは喉に効くか
10月に入って以降、なんとなく身の回りの世間がわさわさと動き出してる気配があって、それにともなってコミュニケーションのもらい事故も起こりやすくなってる気がする。冷静に考えると全然悪気のない言い回しをなんだか嫌だと感じたり。あちこちで体当たりをくらうような、元気なときにはなんでもないことでも、ちょっとしたダメージとして積み重なってくる。椅子取りゲームで動きたいひとと動きたくないひとがぶつかりあっているみたいな。 そういう日々を反映してか、ここのとこ怒る夢をたくさんみる。自分が
ちょっと用事があったので、電車で出かけたら街に人が溢れててびっくりした。明らかに先月までと比べて人出が多い。 まあいいんだけど。なんだかその様子を見ているだけでも疲れてしまって、早々に帰った。 お出かけを楽しむのはいいことだ。でもどこか余裕がないような、へんな気の張りつめ方をしているような気配を感じてしまった。「(今まで散々我慢させられてきたのだから)楽しまないと自分が可哀想だ」みたいな必死さが、誰の気持ちの底にも少しずつあるように見える。みんながみんな長いこと辛抱を強い
有賀薫さんとスイスイさんのハッピークッキングを見ました。 「塩ひとつまみとか、適当でいいとか、ほんとやめてください!」 とガチギレしだすスイスイさんと「どうしたもんか…」と言いたげなお顔の有賀さんのやりとりが楽しくてゲラゲラ笑ってしまった。(直前までの女子会みたいな和やかさとの対比が余計に可笑しかった) 私もつい「塩ひとつまみくらい覚えようよ。。」と思ってしまったけれど、でもスイスイさんのうろたえ方、コンプレックス由来の不安な気持ちは身に覚えがある。古武術のお稽古での私が
今朝Twitterで“出版物の総額表示義務化に反対します”のハッシュタグを見て何事か?と思ったら、ああそういうことか…と。 一難去って、また一難 ぶっちゃけありえない!! ︎全然プリキュア世代じゃないのに、思わず脳裏に去来しました。いやもうホントまじありえない。 すでに色んな方が意見表明してるとおり、このルールを強行した場合のデメリットをまとめると ①今現在国内にある全ての出版物の値段表記を一冊一冊変えなくちゃいけない。(Q.どうやって?A.人の手で!) ②しかもそれ
外へ出るのが怖いという気持ちはなくなった。でもやっぱり避けている場所というのはある。ひとによりけり、それぞれだろう。今なにをどこまで気をつけるのか。 ちょっとくらい罹ったとしても仕方ないじゃない、と思えるならどれだけいいだろう。自分の生活状況と、それに不可欠な人々を思い浮かべたら「可能な限り絶対に罹ってはならない」という答えしか出てこない。半年間、何度も考えたけれど、何度考えてもそうだった。 「やりたい」とか「できない」とか「今はやりたくない」とか、色んなことについて自分
元気になる兆しはあるのに元気になれる気がしなくて困った。あおやぎさんに診てもらったら「やっぱり体に傷があると影響は出ますよ」とのことで、そうなのかーと思った。たしかに野生だったら怪我してるのにゆるふわだと死んじゃうもんね。 整体後はいつも体が変わっていくのが分かるし、こないだ湯舟に浸かるのを解禁したのも関係すると思うけど、一気に全身がゆるんで今までの無理が重石のようにのしかかってきたみたい。毎日ぐったり疲れて21時には眠くなる。ひと晩眠るごとにアクが抜けていくような感じがす
ここ1〜2年で味覚がだいぶ変わって、甘いお菓子を食べると体が重たく感じるようになった。でも内面は甘いものを好きだった頃のまま生きてるのでうまくいかない。こないだ無性にホットケーキが食べたくて、食べたんだけど「少なくとも向こう3年はもう食べなくていいや…」と思うだけだった。かなしい。 代わりに野菜の甘味や匂いに敏感になった。「もしかして、ニラって美味しい…!?」と気づいたのは嬉しかったなぁ。 毎月取り寄せている星屑珈琲の豆も、色々な味と香りが感じられる。浅煎りの酸味が美味し
皮膚科でおできを取った。最初に行ったクリニックでは「ああ、これほっといていいやつよ〜」と朗らかに言われたのでほっといたのだけど、段々痛みがでてきたので別のとこで再度診てもらった。 みせるなり「え。」と黙りこくるので何かとおもったら「これは…あの〜ほっといていいやつじゃないと思うよ…?」と血相を変えられて、そんなわかりやすく変えなくても…と可笑しかった。その日のうちにサクッと取ってもらい6針縫った。「万が一、悪性だったらまずいから」と病理検査にも出してくれた。去年、身の回りで
小林大吾さんの過去作がサブスク解禁になりました。めでたいめでたい。 「腐草為蛍」という一編が好きです。いやどの作品も好きなんだけど、折にふれて思い出すという意味で。とくに、ひとが亡くなったときに頭をよぎる。それも身近なひとではなく、こちらが一方的に知ってるだけの遠くの誰かが自ら命を絶ったと知らされたときに。 タイトルの漢字四文字は「くされたるくさほたるとなる」と読む。古来より日本で季節を示すのに使われてきた七十二候のひとつで、グレゴリオ暦でいうところの6月10日前後。昔の
暑くて蒸してる時期が好きだ。28℃〜30℃くらいだと体調がいい(気がする)。陽射しのなかをじわぁと汗滲ませながら歩くと「夏を生きてる」という実感が湧いてくる。 ただ、20代の頃から夏は食欲が落ちて睡眠時間も短くなりやすかった。それでも元気で活発に動けたので、良いことだと勝手に解釈してたのだけれど、さすがにアラサーだし「これはあまり体によくない兆候だよなぁ」とうすうす思うようになった。 冷静に考えれば、自律神経の乱れが原因だ。交感神経優位になってるから、心拍数が下がらなくて
6月6日は楽器の日なんだそうだ。芸事は六歳の年の6月6日から始めると上達するという言い伝えが由来だとか。 トロンボーン、ここのとこずっと吹いてない。管楽器が吹ける住環境ではないからね。スタジオは時短で営業再開しはじめたところもあるみたい。ただ、今は無理して練習しても体にいい影響はない気がしていて。ほんとは公園にでも行って好きな飲み物片手にのんびり吹くのに最高の季節なんだけど。まわりの目が怖いからやらない。人の少ない河原とかに行けたらいいんだけど、家の近所にはそういう場所がな
整体に行くと、その後の元気になり方が毎回違うからおもしろい。 すぐに眠くなったり気持ちが明るくなったりと反応の早いときもあるし、整った体でさてどうしよう?と数日のあいだ体が考えこむようなこともある。こないだの施術では後者だった。 もともと興味があった中医学をもうちょっと深掘りしたくて、教科書を買って少しずつ読み進めている。中医学をはじめ東洋の学問は理屈から離れたものだと無意識のうちに思い込んでいた。もちろん臨床において経験則というのは侮れないのだろうし、漢方にもさんざ世話
なにがつらいわけでもない。生活面で困ってることもないし。ただ、外に出なくなった。 ゴミ捨てがなければ玄関のドアを開けないこともザラだ。もともとない食欲もいよいよないから、買い物も週2回以下だ。今日は光熱費の支払いに行かなきゃだからこれからコンビニ行くんだけど行きたくない。 川沿いの公園の、遊べないようにテープを巻かれて封鎖された遊具とか。 にわかに増えた市民ランナーが軒並みマスクをしてる姿とか。 そういうものに少しずつ精神が削られてるんだとおもう。幸い、家のまわりの環
世の中に意味のあることが溢れ過ぎじゃないかと思って。 だから不毛なことを一生懸命やろうと思ったんですよね。 そもそも今年の目標は「日向ぼっこをたくさんする」だった。高校生から専門学校、社会に出てからも実家を出るまで、よく日向ぼっこをしてたのだ。自室の狭い日溜まりに体育座りして。ポッドキャストの落語とかTSUTAYAで借りてきたミスチルのアルバムとか聞きながら。村上春樹やら吉本ばななやら読むこともあったし、折り紙でこまごましたものを作ったり、ゲームするときもその日溜まりに座っ