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楽器の日

6月6日は楽器の日なんだそうだ。芸事は六歳の年の6月6日から始めると上達するという言い伝えが由来だとか。

トロンボーン、ここのとこずっと吹いてない。管楽器が吹ける住環境ではないからね。スタジオは時短で営業再開しはじめたところもあるみたい。ただ、今は無理して練習しても体にいい影響はない気がしていて。ほんとは公園にでも行って好きな飲み物片手にのんびり吹くのに最高の季節なんだけど。まわりの目が怖いからやらない。人の少ない河原とかに行けたらいいんだけど、家の近所にはそういう場所がないし遠方まで出かけられる状況でもない。

楽器吹き始めて20年経つけど、今までも受験勉強や仕事の都合で何か月も吹かない状況はあった。それでも結局やめてないんだから、今更何か月か活動できないからといって、さほど影響はないとも思う。もちろん筋肉は衰えるから、練習できるようになったら体を取り戻すところから始めなくちゃならないけど。でも体は感情も記憶するから、できれば気兼ねなく吹けるときにしか吹きたくない。人目を避けて小さな音で演奏するときに感じるストレスは、楽器を吹けないストレスを大幅に上回る。私にとっては。

「今できることをしよう」と色んなひとが言ってる。たしかにそうだ。そんなわけでメインで使ってる楽器をメンテに出してきた。スライドのU字管に派手めなへこみが3か所あるのを放置してた。直したほうがいいのは明白だったけど、なんやかやと演奏の機会が続いて長期間楽器をあずけることができなくて、そのまま数年経ってしまった。今ならちょうどいい。

楽器店は次々と修理依頼の楽器がもちこまれていた。やはりみんな考えることは一緒か。高校生が親御さんと一緒にbachのトロンボーンを買っていくのも見かけた。吹奏楽部もあまり活動できてないらしいけど、室内がダメならマーチングドリルがこれから流行ったりするのかな。それもおもしろいかも。

楽器をあずけてしまうと手持ち無沙汰で、せっかく新宿のほうに来たからアルスクモノイに寄ることにした。人ん家の本棚を眺めるのって個人的にすっごい娯楽で、古書店はそれが味わえるうえに買うこともできるから眼福なことこのうえない。店主のマキさんとおしゃべりするのも久しぶりだった。活版ブームにアンチを唱える生粋の活版職人の話などを聞いた。人間の手によって支えられてきた技術は、機械に役目を譲ることで色んな製品を安価にしたし、皮肉なことに高めすぎた職人技というのは機械の仕業と見分けがつかない。楽器演奏もそうで、ならば人間がおこなう技の意義や価値はどこにあるのかと言われるとさっぱり分からなくなる。でも分からないことを分からないままやってることにわくわくしてる。

誰が言ってたのかど忘れしてしまったけど、「あぁ、音楽は楽しいなぁ。なんでこんなに楽しいんだろうね」と歳上の誰かが言ってた。どの人だったか思い出せないのに、その声音やキラキラしていた眼の色は憶えている。思い出せないのは、そういうこと言いそうな大人が私のまわりにたくさんいるからだ。自分もそうでいなくっちゃな。